幼い頃から、どうにも自信の持てない人生を歩んできた。
ブサイクではないけどイケメンでもない平凡な顔立ち。
テストの点数はいつも平均以下しか取れない学力。
運動も得意ではなく、五人で走ればだいたい三か四番目。
これまでの冴えない自分から脱却しようと臨んだ高校生活は、けれど、高校デビューをするような度胸もなく、結局は中学の焼き直しのまま二年生に進級していた。
野暮ったい見た目で、これといった趣味もなく、内向的でクラスでは影が薄すぎてイジられる対象にもならない。
これがギャルゲだったら主人公の親友ポジションにもなれないだろう。立ち絵すらなく背景と同化するモブたちの一人がいいところだ。
唯一、平凡でない点があるとしたら、幼い頃に母親が他界したという家庭環境ぐらい。
しかし、そんなのはマイナス要素でしかなく、片親だということが引け目になって俺を引っ込み思案な性格にさせていた。
もちろん、俺だって年頃の男子高校生だ、内気といえど女の子には興味津々、クラスには気になる女子もいるが──もちろん告白する度胸はない。
だからといって、華々しい高校生活を送りたいなどとは思ってない。俺はこの歳にして分相応という言葉を理解しているのだ。ときどき、満たされない心の隙間に不安を感じてしまうこともあるが、思春期の男子高校生なんてそんなものだろう。
なんて言い訳がましいことをつらつらと述べるのが、俺こと、神山隆文という人間であり、この物語は、平凡としか言えなかった俺の人生に大きな転機が訪れたところから始まるのだが……たまに思うのだ、もしも彼女に出会わなかったら、と──。
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「よろしくお願いします。お兄ちゃん」
そう言って、家のリビングでペコリとお辞儀をする小学生の少女。
ふんわりとした長い髪の毛を両肩の位置でおさげにしている。笑えばきっと可愛いのだろうけど、残念ながら、柔らかそうなほっぺは微動だにせずだ。
「こっ、こちらこそよろしく、えっと……由奈ちゃん」
小学生の女の子と話すのに慣れていない俺は、できるだけ親しみやすい笑顔で話しかけようと試みたものの、上手くいかずに頬が引きつってしまう。
微妙な笑顔を浮かべた俺の顔を、少女は黙って見つめ返している。
彼女の名前は甘衣由奈。いや、今はもう俺と同じ神山姓か。
この日、親父の再婚相手が一人娘を連れて我が家に引っ越して来たのだ。
「由奈、お兄ちゃんができて良かったわね」
隣に立つ母親が娘に語りかけるも、当の本人は黙ったまま、ボンヤリとした瞳で俺のことをじっと見つめ続けていた。
気まずい……。
事前に顔合わせをしているから初対面ではないのだが、由奈は感情を顔に出さないタイプなので何を考えているのかイマイチわからない。
今日から義理の兄妹として一緒に暮らすことになるわけだが、うまくやっていけるのか心配である。
俺は改めて、新しく家族となる二人に注目した。
なんというかまぁ、本当にこの人たちが俺の義母と義妹になるのかと疑問に思ってしまう。
まず母親の綾乃さんだけど、彼女を初めて見たときに抱いた感想は「親父はいったいどんな手を使ってこんな美人を口説き落としたのだろう?」である。
ゆるくウェーブのかかった長い髪、しなやかな体のライン、腰はほっそりとしているのに胸元は魅惑的に膨らんでいて、口元のホクロが色っぽい。凄い美人だけど、穏やかな口調と物腰で親しみやすい女性だ。
そして娘の由奈はといえば、小学生らしく小柄で華奢な体型をしているものの、母親ゆずりの綺麗な顔立ちをしている。まだ小さいながらも間違いなく美少女。将来は母親のような美人になりそうだ。
「隆文も、こんなに綺麗なお母さんと可愛い妹ができて嬉しいだろう?」
俺の隣にいた親父が心の声を代弁してくれる。たしかにその通りではあるのだけど、正直、この美人母娘と自分では釣り合わないのではと、つい卑屈なことを考えてしまう。
いかんいかん、こんなことばかり考えてたら本当に嫌われてしまう。
なんと話しかけるべきか俺が思案していると、由奈の方が先に口を開いた。
「由奈でいいです」
「え?」
「呼び方、そのほうが兄妹っぽいので」
義妹の意外な言葉に俺は面食らった。
そっけない口調だし、相変わらず表情は読めないけれど、きっと彼女なりに新しくできた兄に歩み寄ろうとしてくれているのだろう。であるなら、俺もちゃんと応えてやらないといけないよな。
「なら、由奈も敬語じゃなくていいよ、そのほうが兄妹っぽいしさ」
少し照れてしまうが、こうやって、お互いに少しずつ距離を縮めながら本当の兄妹になれたらいいな、と思っていたのだが──。
俺の言葉に由奈はあっさりと首を横に振った。
「いえ、私はいいです」
「えぇ……」
なにそれ、上げてから落とすスタイルなの?
あまりの塩対応に愕然である。
「ふふっ、由奈もお兄ちゃんができて喜んでるみたい」
隣にいた母親の綾乃さんが娘の頭を撫でる。
「…………」
けれど、肯定も否定もせず黙ったままの義妹の無表情からは、やはり感情なんて読み取れなかった。
この子、ほんとに何を考えてるのかわからんな。
その後、俺は親父に言われ、由奈に家の中を案内してやることになった。兄妹でスキンシップをとれってことなのだろう。
しかし、さして広くもない家だ、一階はリビングと風呂やトイレの場所ぐらい、それから二階に用意されている由奈の部屋に連れて行った。
部屋の中には既に運び込まれた家具が並んでいた。白を基調にした机やベッドに桜色のカーテン、可愛らしい小物類も置かれていて、なんというか、すごく女の子の部屋って感じがする。
俺は生まれてこのかた女の子の部屋になんか入ったことがないので、慣れない場所にソワソワしてしまう。
「えっと、とりあえずこれぐらいかな……なにか分からないことはある?」
「お兄ちゃんのお部屋はどこですか?」
そんなこと聞かれるとは思わなかったので、間抜けな顔をしてしまう。
「俺の部屋? ああ、この隣だよ」
「見たいです」
「べつにいいけど……」
見たところで面白いものなんて何も無いのだが、本人が見たいと言うので案内してやることに。
部屋の中はこれといった特徴もなく、ベッドと机とパソコン、床には読みかけの雑誌が放られていて、これといって趣味があるわけでもないし、我ながらつまらない部屋だ。
しかし、いっぽうの由奈は部屋のあちこちを見回していた。
そんなに見てもなにもないのに。
しかし、彼女が棚の上に置かれていた写真立てに気づいて近づくので、慌てて後を追った。
「それは……」
しまった──と思った。
べつに、見られて困るいかがわしいものを飾っていたわけではない。
そこに写っているのは、幼い頃の俺と、隣で優しげに微笑む生前の母親だった。
「この人、お兄ちゃんのお母さんですか?」
「あぁ、うん……そう」
新しい家族が増えることで、綾乃さんを新しい母親として認めないだとか、俺の母さんはこの人だけだとか、そういった感傷はない。
けど、母さんのことは忘れたくないから今でもこうして写真を飾っていたのだが、もしもこれを綾乃さんがこれを見たら、息子は本当の母親のことが忘れられないのだと、俺に遠慮してしまうのだろうか?
そう考えると、新しい家族との生活を上手くいかせるためには、こういうのを目立つ場所に置いておくのは止めたほうがいいのかもしれない。
「はは、高校生にもなって母親の写真を部屋に飾ってるとか、女々しいよな?」
自嘲気味に笑って見せる俺に、しかし由奈は首を降った。
「そんなことないです」
「え……」
「お母さんとの思い出、大切だと思います」
やはり無表情、けれど、彼女が俺のために言葉を選んでくれているのが伝わってくる。
驚いた。まさか小学生にそんなことを言われるとは思ってもみなかった。
男子よりも女子の方が心の成長が早いと聞いたことがあるけど、由奈は特に早熟なのかもしれない。それに、表情が読めなくて、ちょっと何考えてるかわからないけど、優しい子なのだろう。
「うん、ありがとう。改めて、これからよろしく」
「はい」
「なにかあったら遠慮なく言ってくれていいよ。ほら、妹って兄貴にわがままとか言うもんだろ?」
「なんでも?」
「えっと、俺にできることなら」
「じゃあ……」
由奈は少し考える素振りをしてから口を開いた。
「頭を……」
「頭?」
「撫でて──」
遠慮がちに呟かれる言葉、俺はその先をいち早く察した。
これはもしかして……女の子にそんなことをすれば100%嫌がられ、現実の兄妹ではマジ有り得ないと言われている、お兄ちゃんが妹の頭をナデナデするやつぅッ!
いいのか!? いやしかし、これは由奈からの申し出なわけで、俺はあくまでも兄として妹の願いを叶えるのであり、むしろこれは兄としての責務といっても過言では無い。
いいぜっ、妹からの初めてのお願い、お兄ちゃんが叶えてやる!
「撫でてもいいですか?」
「──ん?」
頭の中で膨らんでいた義妹の頭をナデナデするイメージが、その一言で霧散した。
あれあれ、おかしいぞ。
頭を撫でる、そこは理解したけど、文法がちょっと間違ってるんじゃないかな?
「”俺が”由奈の頭を撫でるんだよね?」
「いえ”私が”お兄ちゃんの頭を撫でるんです」
なんで?
「だめですか?」
「いや、だめじゃないけど……」
「じゃあお願いします」
「あ、はい……」
押しの強さに思わず承諾してしまった俺は、由奈の願いを叶えるために頭を差し出すしかなくなった。
身長差のせいで立ったままだと撫でられないから、俺は跪いて頭の位置を低くする。
「こっ、これでいいか?」
「はい、このまま動かないでください」
由奈はそう言って、自分の胸の高さにある俺の頭に小さな手を乗せると、ゆっくりと撫で始めた。
「なでなで」
まるで赤ん坊にするかのような優しいタッチで、義妹の手が何度も俺の頭を撫で付ける。
「なでなでなで」
──────ナニコレ?
どうしてこうなった? なんで俺は小学生の義妹の前に跪いて頭を撫でられているの?
ちょっと意味がわからない。
いったい何を考えているのだろうと、チラッと由奈の顔を見上げると、先ほどまでの無表情はどこに消えたのか、そこには慈愛顔で瞳を潤ませながらうっとりとしている義妹が居た。
満ち足りていらっしゃる!?
あまりの豹変ぶりに声を掛けるのも躊躇われ、俺は恥ずかしさに耐えながら妹に撫でられ続けるのであった。
しかし不思議なことに、小学生の女の子に頭を撫でられるのが恥ずかしいと思う反面、撫でられること自体は嫌ではなく、むしろ心地よさすら覚えていたことに、その時の俺はまだ気づいていなかった。
こうして、俺と義妹のおかしな関係が始まったのである──。