さて、新しい家族を迎えた翌日のことだ。
学校の授業が全て終わった放課後の時間、ある者は部活へ向かい、ある者は教室に残って友達とだらだら喋るなど、各々の過ごし方をしている。
そんな中、部活にも参加していないし、友達付き合いも苦手な俺は、いつも通り早々に荷物を片付けて席を立つと、足早に教室のドアへと向かったのだが、そこで偶然、中に入ろうとする女子とばったり遭遇してしまう。
「おっ、神山もう帰んの?」
ハキハキとした喋り方で尋ねてきたのは、同じクラスの佐伯凛花。
一年の時からクラスが一緒で、着崩した制服と薄いブラウンに染め肩まで伸ばした髪、物怖じしない性格と見た目ちょっとギャルっぽいせいで、初めは「うわっ、ギャルの人だ……」とビビっていたのだが、話してみると、誰とでも仲良くなれる気さくな良い子だというのが分かった。
「あっ、うん」
「車には気をつけて帰れよ〜」
冗談めかして言う彼女に、「子供かよ!」なんて切り返しが俺にできるはずもなく。
「あっ、うん……それじゃあ、また」
こんな、コミュ障な返事しかできない残念な自分が嫌になる。
「またね〜」
それでも俺に向けてプラプラと手を振ってくれる佐伯さんは、教室に残っていた女子たちに名前を呼ばれると、すぐさまその輪に加わった。
はぁ……今日もちゃんと喋れなかった。自己嫌悪。
佐伯さんは男女問わず友達が多い、そりゃあそうだ、あんなふうに他人を値踏みせず分け隔てなく接する子が好かれないはずがない。俺も一年の時から佐伯さんのことが好きなのだから。
うん、身の程知らずだと分かっているよ? けどしょうがないんだ! 陰キャは女子に優しくされると簡単に惚れちゃうものなんだよ!
まあ、付き合うなんて無理なことは分かっているので、せめてもうちょっと、まともに話せるようになりたいと思いながら、いっつもこの様である。
はぁ……帰ろう。
二度目のため息をつきながら、俺は楽しそうに騒ぐ女子グループを横目に、そっと教室を去るのであった。
*
西に傾き始めた太陽に照らされ黄色くなるアスファルト。
自宅へと続く帰路はいつもと何も変わらないのに、足取りは少しだけ重い。
べつに帰るのが嫌なわけではない。けれど、きっと家では義母と義妹が俺の帰りを待っている。それが緊張の原因だった。
昨夜は休日だったこともあり、家族四人で外食をしたのだが、平日となればそうもいかない。
親父は仕事が忙しくて、いつも会社から帰ってくるのは夜遅くになる。
そうすると、必然的に家では大半の時間を三人で過ごすことになるわけで、今まで平日は一人暮らし同然だった俺としては、新しい同居人と上手くやれるか不安になってしまう。
大丈夫かなぁ……?
などと考えているうちに家に到着してしまった。
鍵で玄関のドアを開けたとき、「ただいま」を言う習慣がなかったせいで「ただいまぁ……」と小声になってしまったのはご愛敬。
自分の家だというのに緊張しながらリビングに向かうと、台所では綾乃さんが夕飯の支度をしていた。トントンと包丁がまな板を叩く音、そして美味しそうな匂いがふわりと漂ってくる。
実の母親が幼い頃に他界してしまったゆえ、夕飯はいつも適当に惣菜弁当を食べていた。学校から帰ってきたら台所から夕飯の匂いがするなんて、まるで他所の家に迷い込んだ気分である。
「あら、おかえりなさいタカくん」
「たっ、ただいま。えっと……綾乃さん……」
俺に気づいてニッコリと微笑む義母は、俺のことを隆文ではなく、親しみを込めて「タカくん」と呼ぶことにしたそうだ。嫌ではないけど、名前を呼ばれるたびにちょっとこそばゆくなる。
俺が綾乃さんのことを「お母さん」と呼ぶには、まだ心の準備ができていないので、慣れるまで少し待ってもらいたい。
そんなやりとりをしていると、先に小学校から帰っていたのか、リビングのソファに座ってテレビを見ていた由奈が、相変わらず感情の読みづらいぼんやりとした瞳でこちらを見ていた。
「ただいま、由奈」
「はい。おかえりなさい、お兄ちゃん」
それだけ言うと、由奈はまたテレビに向き直った。
うぅむ、この子は基本的に態度がそっけないんだよなぁ……。
けど、何故あんなことをしたのかは分からずじまいだが、昨日の頭なでなでの件もある。
嫌われているわけではないと思うが、好かれているかも分からない。掴みどころのない義妹とどう接したらいいかが目下の悩みである。
根が陰キャなので、自分から気さくに話しかけるとか苦手なんだけど、一緒に暮らす家族と微妙な関係のまま過ごしたくはない。
ここで義妹と距離を置いてしまえば、仲良くなるキッカケも掴めないままだ。相手のことを知りたいのなら、まずは自分から近づくべきなのだろう。
俺は自室に荷物を置いてからリビングに戻ると、さっそく由奈とのコミュニケーションを試みることにした。
とりあえず、無難なところでテレビの話題を振ってみるのはどうだろう?
彼女はどうやら昔やっていたドラマの再放送を観ているらしい。俺はじっとテレビを見つめる由奈の横に立つと、さりげなく声をかける。
「ああ、このドラマ面白いよね? 俺も昔見てたよ」
「お兄ちゃん、テレビを見ているときは静かにしてください」
「はい……すみません」
秒殺……だとッ!?
なんという塩対応。テレビの画面から視線を外さないままピシャリと言い放つ由奈に対し、俺は二の句も継げずに閉口した。
義妹と仲良くなろうぜオペレーションは開始十秒も持たずに失敗である。
俺は義妹と仲良くなるための次の一手を模索し、頭をフル回転させ、考えて、考えて、そして────諦めた。
うん、いきなり距離を詰めようとするの時期尚早だったかもしれないな。急いては事を仕損ずるとも言うし、ここは一時撤退するべきだろう。
言っておくけど、べつに小学生の義妹にビビってるわけじゃないから! これは、あくまでも戦略的撤退だから!
などと言い訳しつつ、下手なことをして由奈に怒られる前に退散しようとしたとき、後ろから体を引っ張られて踏み出そうとした足が後ろに下がった。
振り向けば、服の裾を由奈の小さな手が掴んでいた。
「えっと……なに?」
由奈は何も答えず、その代わりに自分の座るソファの隣をポンポンと手で叩いた。
そこに座れということだろうか?
ははぁ、なるほどね。そいうことか分かったぜ!
口にするのは恥ずかしかったけど、本当は由奈もお兄ちゃんと一緒にテレビを見たかったんだな?
まったくぅ、このツンデレさんめ!
全てを察した俺は可愛い義妹の隣に腰掛けて、仲良くテレビを見ることにした。はずなのだが────。
気がつけば、俺は由奈のスカートから伸びる太ももに頭を置き、寝転びながらテレビを見ていた。つまり膝枕である。
────なんだこれ?
どうして俺は義妹の白くて細っそりとした、スベスベ太ももの感触を味わっているの?
由奈の言う通りにしていたら、いつの間にかこんな体勢になっていた。摩訶不思議である。
一方で由奈はといえば、やはりテレビをじっと見つめたまま、しかしその手は、まるでお気に入りのヌイグルミを抱きかかえるかのように、しっかりと俺の頭を固定しながら、よしよしと撫で付けていた。
違くね? これは正しい兄妹のあり方じゃないんじゃね?
おいおい、そんなソフトタッチでお兄ちゃんの頭をいい子いい子しながら、プニプニした太ももの感触を頬に押し付けるんじゃないよ!
とはいえ、小学生女児の細腕に大した力などなく、膝枕から抜け出すのは簡単なことだ。
こんなことを許していては兄としての尊厳に関わる。
よし、起きるぞ、今起きるぞ、布団を跳ね上げるがごとく跳び起きるぞ!
あと三秒、二秒、一秒……はい!
────ダメだった。
昨日、頭を撫でられてた時と同じく、何故か俺には由奈を引き離すことがきでなかった。
まだまだ体も成長途中の小学生だ、手足は細く肉付きも薄い。そこに包容力なんてあるはずがないのに、包まれるような温もりと、ほのかに感じるミルクのような甘い匂いが反抗する意思を削いでくる。
なんだこれ、なんだこれ、なんなんだこれ。
ソファの背もたれが壁になっているから、台所の綾乃さんからは見えてないだろうけど、こんな姿を見られたらと考えるだけで恐ろしい。
なのに抜け出せない。まるで本能がそれを望んでいるかのように体が動かないのだ。
テレビドラマの内容などこれっぽっちも頭に入ってこない。
「あのっ、由奈、なにを……」
「お兄ちゃん……じっとしていてください」
「ぅひッ!?」
横を向いているせいで見ることは出来ないが、耳元で囁かれる声と一緒に熱い吐息が耳の穴に吹きかけられて、体がビクッと反応してしまう。
「ちゅっ……チュッ、お兄ちゃん……いい子いい子」
ほっそりとした指に頬がなぞられるこそばゆさ、耳を蕩かす甘ったるい囁き声、柔らかい唇が耳に触れる感触、キスされているような湿った音が鼓膜に響き、えもいわれぬ感覚に背筋がムズムズとする。
えっ、ちょっ、なにしてるの? なにしちゃってるの?
なんだか、今まさに兄妹にあるまじき行為をしているような気がしてならない!
「こらっ! お兄ちゃんに悪戯しちゃだめだろ!」────と、叱るのが兄として正しい反応なのだろう。しかし、俺は由奈を止めることができず、置き物のように固まったままだ。
「ちゅっ、ちゅっ……んっ、ちゅっ、ふふっ、なでなで」
何をしているの? とは聞けなかった。聞いたら止めちゃうかもしれないと思ったから。
もはや耳はおろか、頬にすら、小学生のプニッとした瑞々しい唇が触れているのを感じながらも、俺は気づかないふりをして、目を閉じ妹の行為を享受していた。
それは夕食の準備ができて、台所から綾乃さんの呼び声が聞こえるまで続いたのであった。