お前が……お前がユウト!!?
由奈から話を聞いていた少年を前にして、俺は思わず身構えてしまう。
背は由奈と同じか、少し高いぐらいだろうか。
あたりまえだが、高校生の俺には小学生男子なんて軽く見下ろせてしまう。手足だってちっこくて、まだまだ子供って感じだ。
それだというのに……なんだこのキッズから放たれるイケメンオーラは!?
アッシュブラウンに染めた髪の左右と後ろを短めにカットしながらも、長めに残したトップから前髪にかけて、ワックスを使って無造作ヘアを再現。しかも眉毛まで整えているじゃあないか。
ゴクリッ、まちがいない……これはプロの技術! 高校生の俺が1000円カットに行くのにも緊張してしまうというのに、まさこのガキ、小学生ですでにオサレヘアサロンに行ってるというのかッ!?
小学生のくせに自信に満ち溢れた目で、ユウトは俺のことを堂々と真正面から見上げてくる。
くそっ、見下ろしてるのは俺だっていうのに、気圧される! こいつ、小学生にしてリア充の覇気を使えるってのかよ!
「お兄ちゃん、どうしたんですか?」
「ハっ……!」
俺が小学生男子を前に緊張していると、隣に居た由奈に手を引っ張られて我に返った。
あぶねぇ、あやうく白目剥いて失神するところだったぜぇ。
「ゴメンねぇ〜、弟に今日のこと話したら、一緒に行きたいっていうからさぁ」
そう言って謝る佐伯さんの隣で、ユウトは不遜な態度で俺のことをじっと見つめてくる。
おっ? なんだおまえ? いっとくけど俺は同年代が相手ならビビって逃げるけど、相手が自分より小さな子供ってことなら多少はやりあえるんだぜ?
「ほらっ、あんたもちゃんと挨拶しなよ」
俺たちが無言で睨み合っていると、佐伯さんに頭をペシッと叩かれて、ユウトはしぶしぶといった感じで頭を下げた。
「佐伯裕斗です」
ちっ、いけすかないキッズだけど、佐伯さんの手前、俺も年上として余裕のある態度を見せねばなるまい。
「えっと、俺は由奈の兄で、神山隆文っていうんだ。よろしく」
「ふぅん」
なるべく穏便に挨拶をしてやったにも関わらず、ユウトは俺のことを値踏みするように不躾な目でジロジロと見てから「ふんっ」と勝ち誇ったように鼻で笑った。
このガキぃッ! いま俺のことを格下認定しやがったな!? なめんな! 俺はそういう気配には敏感なんだよ!
俺の中でもユウトがクソガキ認定された瞬間だった。
「こんにちは、凛花さん。裕斗くんも」
一方で、由奈はきちんと礼儀正しく挨拶をする。さすが俺の妹! えらい! かわいい!
「由奈ちゃん元気だった? その服メッチャかわいいね! 今日はいっぱい遊ぼうねっ!」
佐伯さんは由奈のことをかなり気に入っているようで、相変わらずの距離感でグイグイと近づいてくる。由奈もまんざらじゃなさそうなので、女の子同志の和気あいあいといった雰囲気はとても和む。
すると、ユウトがおもむろに由奈に近づいてきた。
「よお由奈、オレも今日は暇だったからさぁ。まあ、たまには姉ちゃんに付き合ってやるのもいいかなって」
おい待てやユウト! てめぇなに俺の妹を呼び捨てにしてやがんだコラッ!
「なに言ってんのよ。あんた今日は友達とサッカーする約束があったのに、由奈ちゃんも一緒に遊ぶっていたら、自分も行くってしつこく言うから連れてきてやったんじゃない」
「うっ、うっせえよ姉ちゃん!」
え〜、なになに〜? もしかしてユウトくん、俺の妹のことが好きだったりしちゃったりするのかなぁ? やだ〜もぉ〜〜〜。
ブッ○すぞこんガキャぁぁッ!!!!!
はぁい、敵認定完了しましたぁ。今からユウトくんは俺の敵で〜す! このクソガキまじで存在が相容れねぇわぁ。これはもう戦争するしかねぇわぁ。
俺は由奈の手をひっぱると、これ見よがしにユウトの前で頭をナデナデした。
どやっ! 俺はお兄ちゃんだから由奈とこんなにイチャイチャしちゃえるんやで!!
「!!?」
無言の念が伝わったのか、ユウトは悔しそうに俺を睨みつける。
はっはぁ! ざまぁっ! ユウトざまぁぁぁっ! ねぇ、どんなきもち? 好きな子が冴えない陰キャにベタベタ触られるの見せつけられて、今どんなきもちですかあぁぁぁぁ?
小学生男子を相手に、圧倒的な優越感で勝ち誇る男子高校生がそこにはいた。
*
かくして、ギスギスした俺たち(というか、俺とユウトだけ)は電車に乗って数駅離れた水族館のある駅まで向かったのだが、休日に佐伯さんと遊びに出かけることにドキドキしながらも、なにかと由奈にちょっかいを出そうとするクソガキが気になってそれどころではない。
こんな状態で楽しむことができるのかと不安になりながらも、水族館に到着して、いざ中に入ってみると、その予想はあっさりと覆された。
薄暗い館内。広大な水槽の中で光に揺られながら優雅に泳ぐ魚たちを目の当たりにすると、その神秘的な光景にユウトへの怒りも忘れて思わず見惚れてしまう。
「うわっ、やばっ! 水族館とかメッチャ久しぶりだったけど、マジヤバくない!? エモすぎなんだけど!」
「あっ、うん、俺もだよ……ほんとに綺麗だね」
水族館なんかで佐伯さんが喜んでくれるか不安だったけど、どうやら間違ってはいなかったらしい。これも由奈のおかげだ。
生意気なユウトも子供らしく「すげー」とか言いながら水槽にはりついて中を覗き込んでいる。
「お兄ちゃん」
しばし、四人でのんびりと水槽を眺めていたろこで、由奈に小声で呼びかけられた。
「どうしたの由奈?」
「裕斗くんのことは私が相手をしておくので、お兄ちゃんは気にせず凛花さんと二人でいい感じにデートしてください」
ひゅうっ、さすが由奈! お兄ちゃんへのアシスト力が高すぎる! まさに妹の鏡だよ!
「由奈、あっち見てみようぜ」
俺が妹の申し出に感謝をしていたら、ユウトが由奈の手を握って奥へと引っ張って行ってしまった。
これは狙い通りの展開!
なんだけど──────おいこら待てやユウト! なにちゃっかり由奈と手を繋いどんじゃボケカスがあああ!!!
そう、この作戦には致命的な欠陥がある。俺が佐伯さんと二人っきりになるということは、由奈がクソガキッズと二人きりになるってことじゃないか!
許せねえ! 俺っ、許せねえよッ!!
しかし、連れて行かれる由奈は俺の気持ちなど知らずに、こちらに向かってグッと親指を立てる。
その無表情からは「お兄ちゃん、がんばってください」と言われたような気がした。
くぅっ! せっかく由奈が俺のためにお膳立てをしてくれているんだ。ここでチャンスをものにしないと、由奈に申し訳が立たない。
「さっ、佐伯さん」
「なに?」
だから、俺は……俺は……っ!
「あっ、あっちの水槽もすごそうだよ! 行ってみよう!」
佐伯さんの手を掴んで、由奈たちの後を追いかけた。
「ちょっ、神山!?」
だって嫌なんだもの! こんな薄暗い場所で由奈とユウト二人きりとか、お兄ちゃんは許せないんだもの! 由奈は俺だけの妹なんだものぉぉッ!
こうして、ユウトに引っ張られる由奈を追いかけて、俺が佐伯さんを引っ張るという謎の追いかけっこを続けるハメになるのだった。
*
「ふぅっ、けっこう見て回ったねぇ」
思いのほか広い水族館の中を歩き回った俺たちは、足がくたびれたので休憩スペースで一息ついていた。
椅子に座ってジュースを飲んでいると、左隣に座っていた由奈がこそりと話しかけてくる。
「お兄ちゃん、なにやってるんですか、せっかく佐伯さんと仲良くなるチャンスなのに」
「ごっ、ごめん……」
またも由奈に「ふぅ、やれやれです」と、ため息をつかれてしまう。
だって、しょうがないじゃんか……。
ジュースも飲み終えて、そろそろ行こうかと立ち上がったところで、俺の右手が柔らかい感触に包まれた。
見れば、佐伯さんが俺の手を握っていた。
「あっ、えっ……佐伯さん?」
「手、繋がないの?」
なんですと?
そういえば、今日はずっと佐伯さんと手を繋いで過ごしていた気がする……。
あれっ、もしかして俺、かなり大胆なことをしでかしたんじゃ?
けど、佐伯さんは怒ってないし、むしろ、彼女から俺の手を握ってくれて……こっ、これって、つまり………………どういうことだ?
想像の範疇を超えた出来事に俺の思考が追いつかない!
しかも、さっきまで無意識に握っていたのが、こうして意識しちゃうと、佐伯さんの柔らかい手の感触に緊張してしまう。
「いや、でも俺……手汗が……」
「へーき」
「あっ、うん……」
俺と佐伯さんは手を繋いだまま、こんどはゆっくりと水槽を見て回った。
それからの時間は、本当にデートをしているような気分だった。胸がフワフワとして、ドキドキして、なんか知らんけどすごい楽しいぞ。
口数が少なくなった佐伯さんの様子をうかがうと、そわそわしているというか、恥ずかしがってるように見えるんだけど……まさかね?
佐伯さんみたいなJKギャルにかかれば男と手をつなぐなんて児戯にも等しいはず。なんならもっと凄いところで陽キャ男子と繋がっちゃったりもするんだろう!?
そんな佐伯さんが、まさか俺ごときと手を繋いで恥ずかしがるなんて、ありえない。
勘違い、ダメ、絶対。
「由奈、サメ見に行こうぜ!」
そうこうしているうちに、じっと水槽を見つめていた由奈をユウトが元気よく引っ張っていく。
イラッとしたけれど、せっかく佐伯さんといい感じなんだし、今度は追いかけるのをどうにか堪えることができた。
それでも、ユウトに手を引かれて俺から離れてゆく由奈を見ていると、胸の奥がシクシクと疼いてしまう。
そういえば、今日はずっとユウトの相手をさせてしまっているが、由奈は水族館を楽しめているのだろうか?
由奈が見ていた水槽に目を向けると、そこには沢山のクラゲがフワフワと漂っていた。
*
それからはドキドキしっぱなしで、気が付けば1日が終わっていた。
水族館から出た俺たちが電車に揺られて地元の駅へ戻ってきたころには、だいぶ日も傾き、街は夕暮れに染まっていた。
「きょうは楽しかったねぇ。また遊ぼうね由奈ちゃん」
「はい、そうですね」
「まあ、悪くなかったな」
ユウトが乱入したりと、なんだかんだあったものの、佐伯さんも楽しんでくれていたみたいだし、今日のデート(?)は成功と言ってもいいだろう。
「それじゃあね神山、また学校で」
「じゃーな」
元気よく手をふる佐伯さんと、最後まで憎ったらしいユウトを見送る俺たち兄妹。
「それじゃあ、俺たちも帰ろうか」
「そうですね」
帰り道はやけに静かで、遠くでカラスの鳴く声がする。
赤い夕陽に照らされた二人の長い影がアスファルトの道路に伸びるのを見つめながら、ふと思い出したように鞄を漁る。
「由奈、これ」
俺は小さな紙袋を由奈に手渡した。
「なんですかこれ?」
「水族館で買ったやつ」
由奈が袋を開けると、中からクラゲのキーホルダーが出てくる。
「由奈、クラゲ好きなんでしょ?」
「ええ、まあ」
う〜ん、表情が変わらない。これは喜んでいるのだろうか?
「佐伯さんには買ったんですか?」
「いやぁ、佐伯さんにプレゼントとか、ちょっとハードル高くて」
「ふぅ……まあいいです」
また由奈にため息をつかれてしまったが、なんか許されたっぽい。
「お兄ちゃん、ありがとうございます」
「うん。ねぇ由奈。手、つながない?」
「いいですよ」
素直に差し出された左手は、小さくて、あったかくて、佐伯さんの手とは全然違った。
ドキドキはしない。けれど、すごく心地いい。
「由奈、ユウトのことどう思う?」
「お兄ちゃんの方が好きですよ……って言ってほしいんですか?」
「ひゅうっ、由奈ちゃんてば鋭過ぎぃ」
「お兄ちゃんの方が好きですよ」
「なんか言わせたみたいでゴメンね」
「いえ、ほんとのことですから」
「やったぜ! 俺も由奈のこと好きだよ」
「そですか」
不思議だ。由奈に対してはこんなにも自然と好きだと言える。
やはり、由奈に対する好きっていうのは、あくまでも妹に抱く感情で、同年代の女子に対する恋愛感情とは別物なのだろうか。
けど、もしもここで、「凛花さんとわたし、どっちが好きですか?」と由奈に質問されたら……?
いや────由奈がその質問をすることはない。なんとなくだが、わかる。きっとそうだ。
だから俺は、その答えが出る前に考えるのをやめた。