「おい神山。おまえ、凛花と付き合ってんのかよ?」
ヤンキー臭漂う男子生徒に呼び出され、校舎裏に連行された俺が、なかば脅すような口調で問い詰められたのは、水族館デートから一ヶ月が過ぎようとしていた頃のことだった。
そう、薄暗く幻想的な雰囲気の水族館で手を繋いで過ごした日を境に、俺と佐伯さんの仲は劇的に進展し、今や自他共に認めるラブラブカップルに────なることはなかった。
…………なかったのである。
*
デートを終えた翌日、学校で顔を合わせた佐伯さんは、気恥ずかしさに緊張していた俺とは違い、朗らかな笑顔で話しかけてきた。
「おはよ〜、昨日の水族館、マジやばかったね〜」と、今までと全く変わらない彼女の態度は、正直言って拍子抜けだった。
俺としては、もっとこう、お互いに意識しあう感じになって、
佐伯さんは俺の顔をみるなり、恥ずかしそうにモジモジしながら「おっ、おはよう……」と小さく呟いて、頬を赤く染める──。
みたいな?
そんな甘酸っぱい雰囲気を期待してたんだよ!
けどね、意識してたのは俺だけで、彼女からしてみれば、特別なイベントでもなんでもない。ただ「週末は友達と遊びに行ったわ」ってだけの話。
俺だってさ、そんな都合よく事が運ぶとは思っちゃいなかったよ?
しかし、考えてみてほしい。義妹以外の女の子とまともに会話もできなかった陰キャがさ、最近ちょっと仲良くなれた片思いの女の子とデートして、彼女の柔らかい手の温もりを感じた日には、こう思っちゃうわけよ。
────もしかしたら、ワンチャンあんじゃね?
みたいな。
思っちゃうじゃん!? 思っちゃったんだよ!!!
けどまぁ、現実は甘くなかった。
結局俺は、佐伯さんにとっての特別な存在ではなく、数多いる彼女に群がるフレンズの一人に過ぎなかったのだ。
ひとりで勝手にのぼせ上がっていた俺は、とんだピエロである。
ショックだった。これには凹んだ。けど、悪いことばかりでもない。
一緒に遊びに出かけたことで、”友達”としては間違いなく以前よりも仲良くなれた。
今までも遠慮のない佐伯さんだったが、さらに距離が近くなったというか、なんかボディタッチされることが多くなったのだ。
隣に座っていると肩にもたれかかってくるし、一緒に歩いてると、おもむろに腕を組んできたり、手を握ってくる。
彼女の柔らかな体の感触と体温を感じるたびに、ドキドキしてしまうのだが、しかし慌ててはいけない。
俺は失敗から学べる男だ。
健全な男子なら勘違いしてしまいそう行動も、パリピギャルの佐伯さんにとっては挨拶みたいなもの。
これはフレンズ同士でじゃれているだけであって、彼女に他意はないと自分に言い聞かせる。
たとえ佐伯さんのサラサラした長い髪から良い匂いが漂ってきても、腕におっぱいが押しつけられてるような気がしても、頭の中で念仏を唱えてやりすごす。
そうさ、恋人にはなれずとも、俺は佐伯さんのベストフレンズになることを目指せばいいのだ。
吹っ切れてしまえば気持ちが楽になり、佐伯さんとはさらに仲が深まった。
朝は教室の席で雑談をして、昼飯も一緒に食べるようになって、放課後はいつも一緒に帰って、夜はほぼ毎日LI○Eで通話して、休日は佐伯さんがうちに来て由奈も交えて遊んだり、繁華街にふたりで出かけたりもするようになった。
グッドコミュニケーション! グッドフレンズ!
そんな具合に、俺は佐伯さんのお友達として、充実した毎日を過ごしていたのである。
そして、ある日の夜のこと。
俺は自室のベッドに寝っ転がりながら、いつも通り佐伯さんと通話をしていた。
近頃では佐伯さんがビデオ通話をしたがるので、スマホの画面にはラフな部屋着姿で胸の谷間を無防備に晒す佐伯さんが映っていた。
これもフレンズ特典である。フレンズ最高!
そうして、眠くなるまで佐伯さんと話をしてから、最後に「おやすみ、また明日」と言って通話を切った俺は、ベッドの上でぼんやり天井を眺めながら、ふと、こう思ったのだ。
これ……フレンズの距離感じゃなくね? と。
いやいや、さすがに一緒に過ごしすぎでしょ。どんだけベッタリなんだよ? すごいナチュラルに、気がつけば隣に彼女が居るって感じだよ?
これはフレンズライン超えてるだろうが!!!
唐突な気づきに興奮しすぎて、ベッドの上で激しくスクワットをしていた俺は、しかし途中でピタリと動きを止める。
いやいや、だから早まるなって俺。前回はそれで悲しい思いをしたんじゃあないか。
俺は心を落ち着けるために、その場で座禅を組んで目を瞑った。
ああ、心が穏やかになっていく。
そうだよ。俺からすれば恋人の距離でも、佐伯さんからすれば、こんなのはフレンズとして当たり前なのかもしれないだろう。
そうだよそうだよ。実は俺との通話を切ったあとに、今度は違うフレンズと楽しく通話してるかもしれないじゃあないか。
そうだよそうだよそうだ。俺の知らないところで陽キャフレンズとパコパコッてるかもしれないじゃあないかッ!
ぐぅぅっ! 自分で想像しておきながら心が抉られるゥッ! けどお陰で冷静になれたぜ! 俺はもう、同じ失敗を繰り返さない!
俺はついに、悟りの境地に到達したのだ!
*
そして、学校で同じクラスのヤンキー男子に呼び出され、校舎裏で「おい神山。おまえ、凛花と付き合ってんのかよ?」と問いただされたのが翌日のことである。
「はっ? えっ?」
「どうなんだよ、答えろよ」
カツアゲされるのかとビクビクしていた俺は、まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったので、間抜けな返事をしてしまい、それが気に障ったのか、相手はより険しい顔つきになる。
そういえば、こいつは確か、佐伯さんの取り巻きの一人、フレンズC!
きっと、最近、俺が彼女の周りをうろちょろしているのが気に食わないのだろう。
けど、それは誤解だ。俺は君とおなじフレンズTにすぎないんだよ!
「ちっ、ちがうよ。佐伯さんが俺なんかと付き合うはずないだろ?」
慌てて否定をすると、それを聞いたフレンズCが、こんどはバカにするようなニチャッとした笑みを浮かべる。
「ははっ、だよなぁ? お前みたいな根暗が凛花と付き合えるはずないもんなぁ?」
「そっ、そうだよ」
「まあ、あいつのコミュ力ハンパねえからさぁ、おまえみたいなのでも面白がって相手してやってんだろうけど、お前も勘違いすんじゃねえぞ? わかったか?」
「あっ、うん、そうだね。気を付けるよ」
フレンズCは言いたいことを言えて満足したのか、俺のことなんて、もうどうでもいいって感じで去って行った。
まったく、佐伯さんにとっては俺もお前もフレンズでしかないというのに────。
*
「っていうことがあってさ」
その日の放課後、佐伯さんとの帰り道で、俺は今日の出来事を話していた。べつにチクるとかいうんじゃなくて、せいぜい話のネタにでもなればと思ったのだ。
「ふぅん、で?」
「いや、だから、佐伯さんが俺と付き合うはずないよねって」
てっきり、いつもの調子で笑いながら聞き流してくれると思っていたのに、話を聞いた佐伯さんは全く笑っていなかった。
それどころか、その顔は怒っているようにも見える。
「じゃあ、神山はどうなの?」
「えっ、どうって?」
「わたしと付き合いたいの? 付き合いたくないの?」
まさかそんなことを聞かれるとは思ってもみなかったので、返事に詰まる。
なんだ? これはいつもの調子でからかわれる流れなのか?
けれど、黙ったまま、じっと俺のことを見つめる佐伯さんの瞳には、冗談が一切感じられなかった。
なんて答えるのが正解なのかわからない。けれど、きっと俺が答えるまで、佐伯さんはずっと待ち続ける。
「つっ……付きあっ、いたい、です……」
考えがまとまらないまま、無言の圧に押されて、絞り出された言葉が喉の奥から飛び出す。
「じゃ、付き合お」
思考が置いてきぼりになり、自分が口にした言葉も、彼女が何を言ったのかもわからなかった。
ただ、俺の唇に柔らかい感触が押しつけられ、鼻腔を甘い香りがくすぐると、自分が今、佐伯さんとキスしているのだと理解した。
佐伯さんの唇はぽってりとして、由奈よりも肉厚だった。佐伯さんの匂いは柑橘系で、由奈のようなミルクの匂いはしなかった。
それは、由奈とは違うキスの味だった。
お互いに動かないまま、しばらく経ち、佐伯さんはゆっくりと顔を離すと、頬を赤らめ、
「……そういうことだから」
それだけ言うと、走って行ってしまった。
「………………」
まるで現実感がないのに、唇に残った温もりだけが、やけにリアルに感じられた。