「こいつ、小三まで姉ちゃんと風呂に入ってたんだぜ、きめ〜!」
給食の時間、同じグループの男子Aが一緒に食べている男子Bを指さして言った。
「うっせえな、もう入ってねえし!」
「当たり前だろ〜、オレたちもう小五だぜ? この歳で姉ちゃんと風呂に入るとかヤベえだろ〜」
ボク──神崎秋人は、二人の会話を聞きながら、うつむいて、ちぎったパンをもそもそ食べる。こっちに話を振ってほしくなかった。
しかし、そんなボクの気持ちなんて知ったことかと、男子Aは同意を求めてボクの方を見る。
「なあ、お前もそう思うよな?」
「うっ、うん、そうだよね……お姉ちゃんとお風呂に入るとか……ありえないよね……」
動揺しているのがバレないように頷くと、男子Aがニマッと気持ち悪く笑う。
「けど、神崎の姉ちゃんならオレ、一緒に風呂に入りてぇけどなぁ〜。知ってっか? こいつの姉ちゃん、すげえ美人なんだぜ」
「あー見たことある、へへっ、なあ、お前の姉ちゃん、うちの姉ちゃんと交換してくんね?」
「ちょっ、ちょっともう、やめてよ二人とも……」
人の姉を話のネタにするAとBの発言に気持ちがモヤッとしたけど、弱虫なボクはそこで怒ることもできず、ヘラヘラと笑ってやりすごすしかなかった。
その後はすぐに別の話題に移ってくれたけど、ボクはその話をしてからずっとモヤモヤとしたものを抱えたまま、午後の授業を受けるハメになってしまった。
*
「ただいま……」
学校が終わって家に帰ったボクは、いつも持たされている鍵でドアを開けて中に入る。両親は共働きなので家に帰っても誰もいないことが多い。この話をすると、周りの大人からは「さみしいでしょ?かわいそうにね〜」と言われるが、ボクはさみしいなんて全然思わない。なぜなら──。
「あら、アキくん、もう帰ってたのね?」
「あっ、お姉ちゃん! おかえりなさい!」
「ただいま。それと、アキくんもおかえりなさい」
すぐ後に帰ってきたセーラー服姿のお姉ちゃんがボクの頭を優しく撫でる。
天音おねえちゃんは中学二年生だけど、高校生みたいに大人っぽい。それに、いつも笑顔で、優しくて、そんなお姉ちゃんの顔を見ただけでボクは嬉しくなって、お父さんやお母さんと会えない寂しさなんてどこかに消えてしまう。
お姉ちゃんは片手にスーパーの袋を持っていた。きっと学校帰りに買い物をしてきたのだろう。
「今晩はアキくんの好きなハンバーグにするからね」
「やった!」
お姉ちゃんの作る料理はなんでも美味しいけど、ハンバーグはその中でもボクの大好物だ。けど、晩ごはんの献立を聞いて嬉しくなった反面、ボクは少し申し訳なくも感じてしまう。だってお姉ちゃんはボクの世話がなければ、もっと自由に時間を使えるのだから。
お姉ちゃんは昔から周りの人に好かれていた。可愛いくて、性格も明るくて、運動も勉強もできたから、大人はみんなお姉ちゃんを良い子だと褒めたし、男子からも女子からも人気者だった。
それに比べて、ボクは小さいときから勉強も運動も苦手で、内気な性格のせいで友達もうまく作れなかった。
けどお姉ちゃんだけは、ひとりぼっちのボクとずっと一緒に居てくれて、今だってこうして留守がちな両親に代わって晩ごはんの支度もしてくれる。
きっと放課後は学校の友達が遊びに誘っていると思うけど、ボクのために寄り道もせずこうして家に帰ってきてくれているのだ。
そう思うと、なんだか弟のボクという存在がお姉ちゃんの人生を邪魔をしているような気がしてしまう。
「お姉ちゃん、いつもごめんね……」
「え、どうしたの急に?」
「あのね、ボクのせいで、お姉ちゃんが友達と遊んだりできないんじゃないかなって……」
ボクがそういうと、お姉ちゃんは少し驚いたような顔してから、おかしそうに頬をゆるませ、ぎゅっとボクを抱きしめてくれた。
お姉ちゃんの柔らかな温もり、髪からふわっと香る甘い匂いで、ボクは胸の中があったかくなる。
「もう、アキくんてば、そんなことないわよ。お姉ちゃん、お友達とはちゃんと遊んでるし、早く帰ってくるのだって、お姉ちゃんがアキくんと一緒にいたいからなんだもの」
「ほんとう?」
「ほんとうよ、お姉ちゃんがアキくんに嘘ついたことある?」
「ない……」
「でしょう? だからアキくんはそんなふうに心配しなくても大丈夫だからね」
「うん!」
よしよしと頭を撫でられながら、耳元で囁かれるお姉ちゃんの優しい声で、胸の奥でもやもやしていたものが消えてなくなる。
よかった。ボクはまだお姉ちゃんと一緒にいていいんだ──。
*
約束どおり、その日の晩ごはんはお姉ちゃんがハンバーグを作ってくれた。それがすごく美味しくて、ボクはごはんを沢山おかわりしてしまった。
台所で洗い物を片付けた姉ちゃんがエプロンを脱いで、ボクのほうを振り向いた。
「それじゃあ、お父さんとお母さんは今日も遅いみたいだから、もうお風呂入っちゃおうか」
そう言って、お姉ちゃんはボクの手を握ってお風呂場に向かおうとするのだった。
