八月も半ばのある日の夕暮れ時。
まだ空気に残っている昼の熱気が体にまとわりつくのを感じながら、駅前に設置されたモニュメントの前でひとり佇んでいると、不意に近づいてきた少女が声を掛けてきた。
「おじさん、待った?」
「いや、今来たところだから」
それは、紺地に白い撫子の花があしらわれた浴衣姿の美緒だった。髪を後ろで纏めているせいか、いつもより大人びて見える。
今日は美緒と夏祭りに出向く予定なのだが、わざわざ駅で待ち合わせにしたのは、これが理由だったのだろう。
いつもと違う姪の雰囲気につい見惚れていると、美緒が所在無げに横髪を耳に掛けた。その仕草がまた色っぽくてドキッとしてしまう。
「あ……えっと、その浴衣、よく似合ってるな」
「ん、ありがと」
「…………」
「…………」
──なっ、なんだろう、この何とも言えない空気感! まるで初めてのデートで緊張する高校生みたいなッ!?
「そっ、それじゃあ、そろそろ行くか?」https://erorano.net/aoharumei-16
「うん」
謎の気恥ずかしさに悶えていると、美緒がいつも通りの涼しい顔で頷き、おもむろにこちらの手を握ってきたので、またしても心臓が跳ねる。
うぅむ……これまで散々セックスしてるのに、いまさら手を繋いだだけで意識してしまうのは何故なのか。
──そういえば美緒と一緒に出かけたことは何度かあるけど、この前の旅行は穂乃花ちゃんも一緒だったし、こうやって待ち合わせをするデートっぽいのは初めてな気がするな……。
そんなことを考えながら、薄暗くなってきた道をふたり手を繋いで歩きだす。
やがて周りには同じ目的地に向かうグループやカップルが増え、それは長い列となって先にある鳥居へと吸い込まれていった。
だんだんと大きくなっていく祭囃子。列に続いて境内にひとたび足を踏み入れれば、そこは提灯と屋台の黄色い明かりで彩られた別世界だった。
「縁日に来るの久しぶり」
「ああ、俺も。最後に来たのって何年前だったかな……」
美緒の履いた下駄が石畳にカランコロンと小気味よい音を鳴らす。
ずっと握っていた手は少し汗ばんで、けれど離れることはない。
まるで本当にお祭りデートしてるような──いや、これはきっとデートなのだろう。もしかしたら、美緒はずっと、俺とこうやって恋人みたいにしたいと思っていたのだろうか?
叔父と姪なのに? 冴えないおじさんと美少女JKなのに?
セックスはしてるけど、俺たちは互いに「好き」とは一度も口にしたことがない。
隣に目を向ければ、美緒は静かに雑踏を見つめていた。その瞳からは彼女が何を考えているかは読み取れない。
何度も体を重ねているが、情けないことに俺は未だ姪の心情をまるで理解できていなかった。
「おじさん、どうかした?」
視線に気づいた美緒がこちらを向いた。綺麗な瞳には俺が映っている。
「ああ、いや……あそこにチョコバナナの屋台があったから。好きなんだよ、あれ」
「そうなんだ? じゃあ、いこ」
手を引かれ、屋台の並ぶ通りへ向かう。
──まあいいさ、せっかくの縁日なのだから今は余計なことは考えずに楽しむことを優先しよう。なにせ学生時代に憧れていた浴衣JKとのお祭りデートなのだから、アオハルおじさん的にテンション爆上げ案件であることは間違いなし!
ふと、チョコバナナ屋台から隣に目を向けると、いかにもな学生カップルが金魚すくいをしているのを見つけた。
彼女にカッコイイところを見せようと張り切る少年の後ろで、浴衣を着た少女が「その子がいい、とってとって!」と騒いでいる。
──かーッ! きみたち青春してんねぇ!
少し前までの俺なら指を咥えて羨ましがるシチュエーションだが、今の俺には隣に浴衣で巨乳でJKな姪という最強の存在がついてるおかげで青春力は互角。いやむしろ大人の財力で屋台をはしごできることを考慮すれば、こちらが有利では? うむ……これは勝ったなッ!
なんて、心の中で学生相手に謎マウントを取っていたところで、屋台のおっちゃんに二本のチョコバナナを手渡される。
「はいよおまちどう! 妹さんと一緒にお祭りかい? 仲いいねぇ!」
「え? いや、妹ではなくて……」
そこでチョコバナナを受け取った美緒がひとこと。
「おじさんです」
おっちゃんの顔つきが変わった。
「へぇ……おじさん、ねぇ……?」
──なんか怪しまれてる!? なぜだ!
そこで俺は気づいてしまった。いくら浴衣JKを連れていようと、俺と美緒の組み合わせだと周囲にはパパ活としか映らず、あそこの学生カップルとはハナから立っているステージが違うという残酷な事実に! 悲しい現実にッ!!
「おじさん、次、あっちいこ」
「あ……はい」
自尊心をメタメタにされたパパ活ピエロおじさんは、手を引かれながら連なる提灯に煌々と照らされた通りをフラフラ彷徨う。
わたあめ、射的、かたぬき、たこ焼き、りんご飴──。余計なことを考えるのはやめて女子高生の財布に徹していると、美緒が別の屋台に近づく。そこには玩具のアクセサリーが黄色い灯りに照らされて安っぽくもキラキラと光っていた。
「欲しいのか?」
「ううん、見てるだけ」
「まあ、もう玩具の指輪って歳じゃないよな」
俺の言葉に、美緒は視線をそのままに口を開く。
「……ねえ、おじさん」
「なに?」
「前にも、こうやって縁日に連れてきてくれたことあったよね、覚えてない?」
「あー……いや、どうだったかな……言われてみたら、そんな気はするけど……」
突然の抜き打ちテストに面食らいながら、曖昧な記憶を慌てて辿る。しかし、俺が正解を思い出す前に試験官は静かに首を振ってしまった。
「ううん、いいよ。昔のことだから、覚えてなくてもしょうがないし」
美緒はそう言ってくれるが、なにか大きなミスをしてしまった気がしてならない。
「その、すまん……」
「あのね、わたし──」
そこで美緒が何かを言いかけたときだった。
突如遠くから響く女性の悲鳴がそれを遮る。次いで男の怒声らしきものも──。
おそらく、どこかで喧嘩っ早いヤツが揉め事を起こしたのだろう。
周囲がざわめきだし、「やだっ、なに?」「喧嘩か?」という声が聞こえると、小さな波紋は大きな波となって、いままで緩やかに流れていた群衆が、まるで津波のように一斉に動きだす。
美緒の「ぁっ、おじさんっ……」という小さな呟きを最後に、軽いパニック状態になった人の群れに俺と美緒はあっという間に呑み込まれ、繋いでいた手は無理やり引き離されてしまった。
──いったいどれぐらい移動させられたのだろう。
ようやく騒ぎが落ち着いて人混みから抜け出したとき、美緒の姿はどこにも見当たらなかった。
急いで美緒の携帯に電話をする。しばらくコール音が鳴り続けてから『──もしもし、持ち主の方ですか?』と、知らない女性の声が聞こえてきた。どうやら落ちていた美緒の巾着袋を拾ってくれたらしい。
場所を聞いて巾着袋を受け取ると、俺は人混みで溢れる境内で美緒を探し回った。もしも怪我でもしていたらと思うと焦りで自然とかけ足になる。
走りながら、べったりと肌にまとわりつく夏の空気と首筋をつたう汗の感触が、過去の記憶を呼び起こした。
──そうだ……たしかに俺は昔、まだ小さかった美緒を連れて縁日に来たことがあった。そのときも途中で美緒とはぐれて、慌てて探し回って──。
「あのときは確か……」
記憶に導かれるように俺は縁日の賑わいから離れる。雑踏から遠のき、横道にある本殿とは違う方へ続く石段を登ると、開けた場所にある小さなお社の前に美緒がぽつんと立っているのを見つけた。
──そういえばあのときも、こんなふうに人目につかない場所で、泣くこともせずにじっとしていたから探すのに苦労したんだ。
「美緒」
「おじさん……?」
美緒が振り向き、驚いたように目を瞬かせる。
「心配したぞ。怪我とかしてないか?」
「うん……へいき。おじさんは汗すごいね」
「ははっ、まあな」
走り回ったせいで息も上がってるし、Tシャツの首周りは汗を吸って色が変わっていた。
さすがに疲れたので少し休憩するために、俺と美緒はお社の石段に並んで腰掛けることに。
静かだった──。
遠くに聞こえる祭ばやしが、余計にこの場所を隔離された空間のように感じさせた。
無言の中で、篭った熱気を逃そうとシャツの胸元を引っ張って扇いでいると、美緒が口を開く。
「待ちながら、決めてた」
「ん?」
「おじさんが見つけてくれたら、言う。見つけられなかったら、言わない……」
美緒が何を言おうとしているのか理解する前に、彼女の唇が動く。
「わたし、おじさんが……好き」
唇に押し付けられた柔らかな感触。ほんのりと甘い香り。動かないふたり。
祭りの音だけが遠くに聞こえた──。