さて、状況を打開するために三人を連れて校舎の探索を始めたのはいいが、やはりというか、どこを探しても人の姿を見つけることはできなかった。
無人となった教室のドアを開けるたびに、またひとつ希望が消えて、この学園には俺たち以外誰もいないという事実が突きつけられる。雰囲気は重たくなり、生徒たちの口数も次第に減っていった。
もしも、このまま学園から出られず、助けも来なかったらどうなるだろう。遭難、とくれば──飢死?
不吉な言葉が頭をよぎって背筋がゾクッとした。
なんでもいい、せめてこの状況に僅かでも活路を見出せるものが見つかれば──。
それから、俺たちは藁にもすがる思いで、五年一組の教室がある北校舎とは別に位置する南校舎へと移動したのだが、そこでトンデモな光景を目の当たりにすることとなった。
「なんだこれ……」
南校舎一階の通路にある一室、俺の記憶が確かなら、そこは使われていない空き教室だったはずなのだが、ドアの上に取り付けられているネームプレートには【大浴場】と記載されていた。
おかしいぞ、この学園にそんな設備は存在しないはずだ。
外からみた限りでは他の教室と同じに見えるが、ひとつ違う点があるとすれば、ドアには窓がついておらず、中の様子が見えないことだ。
俺は緊張する手でドアをゆっくりとスライドさせた。すると、入ってすぐが玄関のような靴を脱ぐための段差になっており、その先には、まるでホテルにあるような広々とした脱衣所が広がっているではないか。
三人同時に使える大きな洗面台や、脱衣籠が置かれたロッカー、備え付けのドライヤーや扇風機、壁際には洗濯機と乾燥機まで設置されている。
こんな大がかりな工事がされたなんて話、俺は聞いてないぞ。いや、というかなんで風呂? 意味がわからない。悪い夢でも見ている気分だ。
俺は脱衣所の中に足を踏み入れると、更に奥にある半透明の引き戸を開けた。その途端にむわっとした熱気が顔に吹きかかる。
「うっ、そだろ……」
「わぁ、大っきいおふろだぁ」
呆然と立ちすくむ俺の脇から、中を覗き込んだ愛奈の呑気な声が広い空間に響く。
黒石の四角いタイルが敷き詰められた床、複数のシャワーと鏡が並んで設置された壁、四人同時に入れそうな大きな浴槽には掛け流しのお湯が張られており、白い湯気がふわふわと立ちのぼっている。
「あの先生、学園にこんなお風呂ありませんでしたよね……?」
「そうだな」
「はぁぁ? なんなのよコレ、意味わかんない!」
「そうだな」
後からやってきた日和と花鈴も、ありえない光景に目を丸くする。そりゃあそうだ、人が消えるわ外には出れないわ、しまいには校舎の中にこんな立派な風呂ができてるのだから。
もしかして、俺は本当に夢を見ているんじゃないだろうか?
これは、誰にも邪魔されない空間でJS美少女と過ごしたいという俺の歪んだロリ欲求が見せている夢で、現実の俺は脳卒中で倒れて今は病院のベッドの上で昏睡状態とか、そういう展開。あるよねー、あるあるー。
「天野、ちょっと先生の頬を叩いてみてくれ」
俺は夢と現実の判別をするために、古典的解決法を愛奈にお願いした。
「いいのぉ?」
「ああ、頼む」
「えぃ」
しゃがんだ俺の頬に愛奈の手がペチリと当たる。しかし……全く痛くなぁい! むしろ幼女の手で叩かれたことに心地よさすら覚えてしまう! やはりこれは夢なのか!?
「うっわぁ、叩かれて笑ってるし……先生マジキモいんですけど~」
「あの、先生、だいじょうぶですか?」
花鈴の蔑んだ視線と、日和の心配そうな視線が、俺の背中にグサグサと突き刺さった。ああ、この痛みは間違いなく現実だ。
「うん……他の教室も調べてみようか」
バカをやるのはこの辺にしておいて、俺は他にも変わってしまった教室があるのではと、生徒たちを連れて調べてみることに。すると今度は、家庭科室だった部屋のネームプレートが【食堂】に変わっているのを発見したではないか。
中を覗いてみると、実習用の調理台が複数並んでいた部屋は、今は中央に長方形のダイニングテーブルと椅子が四脚、奥にある広いオープンキッチンは新品同然に輝いており、その後ろには食器棚と冷蔵庫も完備されていた。
「すごいな、食材がこんなに入ってる」
ステンレス製の大型冷蔵庫を開けてみると、ヒヤリとした冷気に包まれた庫内に新鮮そうな肉や野菜などがたっぷり詰まっていた。四人でも数日は食いつなげそうな量だ。
う~ん、なんだろうなこの状況……。
外に出ることができず巨大な檻と化した学園、突如として出現した大浴場、食堂には四人で利用することを前提としたテーブル、そして大量の食材が入った冷蔵庫。
これじゃあまるで……。
「わぁ~、ひよちゃん、りんちゃん、アイス見つけたよぉ~」
頭の中でひとつの仮説が生まれようとしたとき、冷凍庫を漁っていた愛奈が中からアイスキャンディーの箱を見つけて嬉しそうに取り出した。
「えへぇ、わたしバニラがすきぃ」
「ちょっと愛奈! なに食べようとしてるのよ!?」
「だっ、だめだよ愛奈ちゃん、学校でアイスなんて食べたら怒られちゃうよ?」
さっそく箱を開けて中からアイスを一本取り出す愛奈を、優等生の日和が慌てて止めようとするが、愛奈はキョトンとして小首をかしげる。
「だれに怒られるのぉ?」
「えっ? そっ、それは……先生、とか?」
日和が困ったように助けを求めて俺を見る。まあ、確かに平時であれば学校でアイスを食べるなんて校則違反なのだが、今は状況が状況である。これぐらいは多めに見てもいいだろう。
「みんなも歩き回って疲れただろうし、アイスでも食べながらちょっと休憩しようか。日向も好きなのを選ぶといい」
「えっと、じゃっ、じゃあ……わたしはチョコ味で、えへへ……」
日和も本心では食べたかったのだろう、はにかみながら遠慮がちにアイスを手に取る。しかし、花鈴は手にしたアイスを警戒するような目で見ると、「二人とも、ちょっとまって」と言って、アイスを食べようとする愛奈と日和を止めた。
「ふぇ?」
「どっ、どうしたの花鈴ちゃん?」
「いいから」
そして、花鈴は手にしたアイスを無言で俺に差し出してきた。
「ん? ああ、ありがとう神崎」
まさか花鈴が俺にこんな気配りをするとは思ってもみなかった。なんだよ、顔だけ可愛いメスガキかと思ってたけど、やっぱりロリは最高だぜ!
と思ったのだが、花鈴はすぐにニヤニヤと意地悪い笑み浮かべた。
「もしかしたら毒が入ってるかもしれないでしょ? さきに先生が食べて安全を確認してくださ~い☆」
あーー、はいはい、そういうことね。やはりメスガキか!!!
とはいえ、確かにその可能性も否定できないので、言われた通りに俺が先に味見をする。
棒状のアイスを一口噛むと、口の中に甘くて冷たいバニラの風味が広がる。それはコンビニなんかで売っているアイスと変わらない慣れ親しんだ味だった。
*
さて、食堂で一休みした俺たちは、それからも探索を進めたことで、まるでコンビニのように品揃えが豊富な無人の【購買部】なんかも見つけたりしたのだが──それよりも驚かされたのは南校舎二階に位置する部屋だった。
そこは元々六年生の教室が並んでいたはずなのに、今は【宗司】【愛奈】【日和】【花鈴】というネームプレートに変わっていた。
まさかの名指しである。とりあえず俺が自分のネームプレートが取り付けられた部屋を確認してみることに。
ドアを開けてまず最初に感じたのは既視感だった。広さはだいたい十畳ぐらいだろうか、間取りや細かい点は違うものの、そこは俺が住んでいるマンションの部屋が再現されていたのだ。
カーテンやソファ、ベッドにデスク、クローゼットの中にある服まで、全て俺の部屋と同じものが揃っていた。
次に三人の部屋も確認してもらったが、やはり俺の部屋と同様らしく、両手で抱えるサイズの巨大な猫のぬいぐるみを抱きしめた日和が若干興奮気味に駆け寄ってくる。
「せっ、先生! これ、わたしの部屋にあるヌグイルミと同じです!」
「先生ぇ、わたしの部屋もぉ」
案内された日和と愛奈の部屋は、どちらも少女らしい内装で可愛らしい小物などが置かれており、なんか甘ったるい匂いがした。これがロリ部屋の匂いってやつなのか!? 思わずスハスハしてしまったじゃないか。
「神崎の部屋はどうだ?」
「ちょっと! なに勝手に人の部屋覗こうとしてるのよ! このヘンタイ!!」
せっかくなので花鈴の部屋の匂いもスハスハしようと思ったのだが、鬼の剣幕で怒った花鈴に追い返されてしまった。ちっ、残念だ。
ともあれ、これでひとつ分かったことがある。
俺は最初、この学園が超自然的な現象に見舞われたのだと思っていた。神隠しだとか、異次元なんちゃらに閉じ込められたとか、そんな感じ。
しかし、【大浴場】【食堂】【購買部】ときて、極めつけは各自に割り振られた【自室】、これらは明らかに俺たちが学園で生活するための設備だ。
つまり、この状況は偶発的に起こった災害などではなく、俺たち四人を狙った何者かが意図して起こした事件ということになる。
じゃあその何者とは? こんな、人の力では到底不可能な超常現象を起こして、俺たちを学園に閉じ込めた人物?
いやいや、こんなことができる存在がいるとしたら、そんなのは────。
そこまで考えたとき、不意に校舎内にチャイムの音が鳴り響く。
腕時計を確認すると、12時20分を示していた。いつもなら四時間目の授業が終わった合図だが、俺にはその音色が、異常な学園生活の始まりを知らせる合図に聞こえたのだった。