それから夜も更け、皆が寝静まってからも、シーズは自室のベッドの上で、彼女たちの処遇をどうすべきなのか考えあぐねていた。
盗みを働いた件で厳しい罰を与えるつもりはなかったが、それじゃあもういいよと、彼女たちを放り出したところで、この国にいる限り、なんのつてもなく獣人が生計を立てるのは難しいだろう。
路頭に迷うか、アルテラの美しさや獣人の物珍しさから、悪い輩に目をつけられてしまうことも考えられる。
この町で暮らしてもらうにしても、まずは住民の理解を得なくてはならないだろう。
シーズがそうであったように、町の住民も、獣人を見たことがない人間がほとんどのはずだ。
果樹園の件は、後でシーズから説明と弁償をするつもりだが、悪い印象が残ってしまうかもしれない。
それが噂として広まってしまえば、彼女たちが町で暮らすことの障害になるだろう。
あの母娘がこの土地で暮らすには誰かの助けが必要なのは明白だ。領主の自分であれば、それが可能なこともわかっている。
しかし、先ほどのアルテラの話しを聞くかぎり、どうやら彼女には知られたくない秘密があるようだった。
それがマーサの言ったとおり、悪事に手を染めたということであれば、領主として、住民に害を及ぼす危険性がある者を町に住まわせるわけにはいかない。
都会とは比べようもなく人口も少ない田舎町ではあるが、領民を守ることこそ己の責務なのだと自覚している。
しかし、シーズの目に映ったアルテラは、懸命に娘を守ろうとする母親でしかなかった。
ミリアも、今はまだ心の純粋さが保たれているように思えるが、この先、不幸な境遇に晒され続ければどうなることか。
あの二人をどうにか助けてやりたい人情と、領主に求められる厳正さの狭間で、シーズは葛藤する。
そんなとき、室内にドアをノックする音が響き、シーズの思考は中断された。
こんな夜更けにいったい誰が──。
身を起こしてドアに向かって声をかけると、外からアルテラの声が聞こえた。
突然の来訪にシーズが驚きながらドアを開くと、そこにはアルテラが静かに佇んでいた。
「夜分遅くに申し訳ございません領主様、失礼だとは思いましたが……どうか、私の話を聞いてはいただけないでしょうか……」
差し迫った様子のアルテラを無下に追い返すこともできず、シーズは部屋へと招き入れた。
シーズはランプに明かりを灯し、アルテラに椅子を勧めながら、自分はベッドに腰掛ける。
薄暗い部屋の中で、ランプの明かりにぼんやりと照らされたアルテラは妙に色っぽく、この空間に二人きりだと意識してしまう。シーズは緊張を誤魔化すように咳払いをしてからアルテラと向き合う。
「さっきはマーサがあんな言い方をして、すまなかったな」
「いえ、いいのです、怪しまれても仕方がないことは、自分でもわかっております……」
「それで──話というのは?」
シーズの問いかけに、アルテラは逡巡した様子をみせながら、ぽつりぽつりと言葉を口にした。
それは、見ず知らずの獣人である自分たちに手を差し伸べてくれたことへの心からの感謝と、どうか自分たちを、この地に住まわせてほしいという懇願であった。
「領主様の優しさにつけ込むような恥知らずな女だと思われても仕方ありません。ですが、私にはもう──あなた様以外に頼れる人はいないのです……」
儚げな美女に自分だけが頼りだと言われて悪い気がする男はいないだろう。シーズも内心では満更でもなかったが、領主として無責任なことはできなかった。
「ここに来るまでさぞ苦労したのだろう? 俺もできることなら君たちの力になりたいとも思っている。だからこそ、君たちがどうして故郷を離れこの地にやってきたのか、事情を話してくれないか?」
「それは……」
「俺には君が悪人だとは思えない。だからこそ、ちゃんと聞いておきたいんだ」
シーズの真っ直ぐな言葉にアルテラは迷ったすえ、ゆっくりと口を開いた。
「私は、故郷でとある有力者の妾でした。平民の生まれだったのですが、偶然その方に見初められ──それから私は何不自由ない暮らしを与えられ、娘のミリアも授かりました。幸せであったと思います……ですが……その生活も長くは続きませんでした」
アルテラは悲痛な面持ちで口元に手を当てる。
「主人は正妻や他の妾を差し置いて、私ばかりに愛情を向けるようになってしまったのです。主人の寵愛を独占する私はどれだけ嫉まれたことでしょう……」
アルテラに入れ込んでしまった男の気持ちが、シーズにはなんとなく理解できてしまう。
いま目の前で話す彼女のなんと煽情的なことか。悲壮感すらアルテラが纏えば、男が抱きしめたくなる色香へと変わってしまうのだ。
どんな男も惚れ込んでしまうに違いない。
「彼女たちの企てによって、私は薬を盛って男を惑わせた悪女として捕まりました……その後、死罪は免れましたが、娘共々国を追放されたのです……」
そこでアルテラの話は終わりだった。
彼女を信じるか否か。
ここから先はシーズの判断に獣人母娘の運命が委ねられたのだ。
話を聞き終えた今でも、彼女の話が真実なのか虚偽なのか、シーズには判らない。
しかし、ここで彼女を見捨てることなど、この若い領主には到底できなかった。
できることなら、その細い肩を抱きしめて安心させてやりたい気持ちに駆られていた。
若さゆえの正義感か、はたまた彼女の美貌に誑かされたのか。
どうしても彼女を信じたい、守ってやりたいという気持ちが抑えられない。
楚々とした彼女の儚さと色気が、花の蜜のように男を惹き寄せ虜にする。
それが我が身を溶かす甘い毒だったとしても抗うことはできないのだ。
「私はなんでもいたします。どうかどうか、お慈悲をお与えください領主様」
なんでもするとは、いったいナニをしてくれるというのか。ダメだと思いながらも甘い期待をせずにはいられない。
彼女の潤んだ金色の瞳に見つめられ、心が大きく高鳴る。
シーズは決心した。いや、そう思い込んだと言った方が正しいだろう。迷いは彼女の涙に流されてしまった。
「辛かっただろうによく話してくれた。君たちがここで安心して暮らせるように、俺がちゃんと取り計らう。だから……もうなにも心配しなくていい」
それを聞いてアルテラは感極まったようにシーズの前に跪いた。
「あぁっ、なんて寛大なのでしょう、寄る辺のない私たち母娘が、あなた様のような高潔な方に巡り逢えたのは、きっと運命の導きですわ……」
アルテラは感涙に瞳を潤ませながら、シーズの手をうやうやしく握る。
しっとりとして滑らかな指先から、彼女の温もりが伝わってくるのを感じた。
それだけならば平静を保てたものの、しかし彼女はシーズの手を抱くように、自らの胸元へと引き寄せ、彼の手は彼女の豊満な胸に押しつけられてしまう。
女性経験のないシーズにとって、柔らかな乳房の感触は、幼い頃、母親に抱きしめられて以来であったが、男として成長した彼に生まれた感情は、子どものそれではない。
シーズは跪くアルテラを見下ろす姿勢になっているせいで、どうしても彼女の胸元が目に入ってしまう。
アルテラは気づいていないようだが、服の胸元が少しはだけているせいで、ふくよかな乳房が服の中で窮屈そうに押し合い、その間に深い谷間がくっきりと見えている。
シーズは動揺を悟られないように、平静を装いながらアルテラの手を握り返した。
「いや、俺は領主としての責務をしただけで──」
邪念を振り払おうとするが、彼も健康な男子であるがゆえ、どうしても彼女の胸元に視線が引き寄せられてしまう。
「あの……領主様……」
シーズの視線に気づいたアルテラは、はだけていた胸元を恥ずかしそうに隠した。
不覚にも胸を覗き見ていたことがバレてしまい、シーズは慌てて頭をそむける。
「すっ、すまない……見るつもりはなかったんだが……」
純粋に感謝してくれている女性に対して、シーズはいかがわしい視線を向けてしまった己を恥じた。
きっと軽蔑されたに違いないと、心の中で後悔するが、しかしアルテラは予想もしなかった行動に出た。
彼女は恥じらいながらも、胸元を隠していた手を離すと、あろうことか、胸元を留めている紐を自らの手でさらに緩めたのだ。
アルテラの服は肩からするりと落ちて、ふっくらとした丸い乳房の上半分が露わになった。
指を掛けて少し力を入れれば下までスルリと脱げ落ちてしまいそうな様子に、シーズは動揺する。
「なにをしているんだ……!?」
「どうか、はしたない女だと軽蔑しないでください……」
アルテラは羞恥に頬をそめながら、狼狽するシーズの胸にもたれかかると、耳元に顔を近づける。
「あなた様のお優しい心につけこんで、ただ施しを受けるだけの恥知らずな女にはなりたくないのです。私が捧げられるのは、この身体ぐらいしかありません……どうか、領主様のお好きなようになさってください」
ぷっくりとした艶のある唇が動き、耳にかかる彼女の吐息は熱く、囁かれた言葉は蕩けるように甘い。
ランプの灯りに照らされた薄暗い室内で、シーズを見つめるアルテラの瞳。
昼間見たときは月のような金色をしていたはずだが、今はアメジストのような暗紫色の光を湛えており、それは思わず魅入ってしまうほど妖美で、シーズの心に欲情が込み上げた。