旅の途中にいくつかの出会いを経て、シーズは長いこと馬車に揺られてようやくゼルトリアに戻ってきた。
数日離れたぐらいで何が変わるというわけではないが、喧騒とは違うゆったりとした空気の流れを感じ、故郷に帰ってきたことを実感させてくれる。
そしてシーズを乗せた馬車が屋敷に到着したとき、門の前には彼が乗ってきた馬車以外にもう一台、見たことのない品種の馬が繋がれた豪華な馬車が停められていた。
来客だろうか。シーズが疑問に思いながらも屋敷の扉を叩くと、少し間を置いてゆっくりと扉が開かれる。
そこには、頭に艶やかな毛並みの獣耳を揺らし、主人の帰りを笑顔で出迎えてくれる美女の姿――を期待していたシーズだったが、残念ながら出てきたのは、長年見続けてきた老婆だった。
「お帰りなさいませ、坊ちゃん」
「あぁ、うん、ただいまマーサ」
意気消沈しているシーズに、マーサは何か言いたげな視線を向けてくる。
「なんだ?」
「ちょうど坊ちゃんを尋ねて、お客様がいらっしゃってたところです。お疲れのところ申し訳ありませんが――」
「わかったよ。それで、誰が来てるんだ?」
「――――それでは、よろしくお願いします」
シーズの問いに答えることなく、マーサはさっさと行ってしまった。
(なんだ?)
やはりあの馬車は来客のものだったようだが、何故か客人の名前を告げなかったマーサに疑問を感じつつ、シーズは応接室に向かったのだが、そこで応接室から出てきたアルテラとばったり出くわした。
今度こそ会いたかった女性を前にして、シーズの頬が自然と緩む。
「ただいま、アルテラ」
「お帰りなさいませ旦那様。お戻りになるのをお待ちしておりました」
にっこりと微笑み主人の帰宅を喜ぶアルテラに、シーズはたまらなく幸せな気分になった。
(いますぐ抱きしめたいッ、いやもう抱きしめるべきだろう!)
客人を待たせていることも忘れてシーズがアルテラの肩を引き寄せようとしたとき、「お帰りなさいませ〜、ダンナサマ〜」と、どこからか人を小馬鹿にするような声が聞こえてきた。
聞き覚えるのある女の子の声だった。緩んでいたシーズの顔が一瞬で引きつる。
おかしい。これは幻聴だ。そう願いながら恐るおそる応接室の中をうかがうと、そこに座っていたのは、紅茶のカップを片手に、ニヤニヤと笑いながら手を振っているマリーレイアだった。
理解の追いつかないシーズはその場に固まった。
「なんで、マリーがいる……?」
「お前が帰った後で私も家を出たんだけどさ、どうやら途中で追い越したみたいだな」
「へっ、へぇ」
「うちの馬車を見たか? あの馬は普通の倍は走るんだぞ」
またどこぞから取り寄せたのだろう。マリーレイアは自慢げに話す。
(そんなことを聞きたいんじゃない……ッ!)
アルテラは話の邪魔をしないよう配慮して、二人にお辞儀をして応接室から去ってしまった。
二人きりになったところで、マリーレイアは立ち上がるとシーズに近づいて首根っこを引き寄せる。
「なんか隠してると思って来てみたら、まさか獣人の女を囲っていたとはなぁ?」
面白いオモチャを見つけた子供のように笑う彼女が、シーズには悪魔のように見えた。
よりにもよって一番面倒な人物にアルテラのことが露見してしまったのだ。
二人は向かい合う形でソファに座ったが、その様子はまさに審問官と罪人である。
「さぁて、どういうことか聞かせてもらおうじゃないか、このダンナサマ野郎」
「それは、その……話せば長くなるんだが」
「ああいいぞ、時間はたっぷりある」
シーズは苦笑いすらできず、冷や汗が止まらない。しどろもどろになりながら、アルテラたちが屋敷に住みはじめた経緯を説明する。
「なるほど、つまりアルテラさんのおっぱいに目がくらんだ童貞領主様が欲望の赴くままに屋敷へ連れ込んだと」
「いやっ、そういうわけではっ……!」
最初は間違いなく善意と責任感からの行為だったが。しかし現状ではマリーレイアの言う通り、アルテラのおっぱいでいっぱいである。
もしもマリーレイアにアルテラとの情事がバレたら、いったい何を言われるか分かったものではない。
(アルテラとセックスしてる事は隠し通す……っ!)
シーズは決意した。
「お前、もう彼女にお手つきしたんだろ?」
「!?」
と思ったら、マリーレイアの先制攻撃が見事に炸裂した。
油断していたシーズは予期せぬ一撃を喰らって足元がぐらついた。
「どっ、どういう意味でしょうか……?」
無意識に敬語を使ってる時点で、精神は既に負け犬のそれである。だがしかし、それでもシーズは敗北を認められない。
「アルテラさんとヤッたのかって聞いてるんだよ」
鋭い一撃が深々と突き刺さる。致命傷だ。もはや立っているのがやっとである。ここからどう足掻こうとシーズが敗北を免れる道は残されていない。それは彼自身が一番わかっていることだ。
「やっ、ヤる……とは?」
まさに蛮勇! シーズは額に脂汗を滲ませながら、この期に及んでまだシラを切ろうというのだ。彼はまだ諦めていなかった。俺はまだ倒れていない。まだ戦えるんだ! シーズを支えているのはもはや男の意地だけである。
「セックス!」
「!?」
無常にもマリーレイアの意識を刈り取るような一撃がシーズの脳天に直撃する。
「生殖行為! まぐわい! 同衾! 交尾! 夜の異種格闘技!」
「!!??」
畳み掛けるような怒涛の攻めが精神を抉る。シーズはもはや耐えられない。限界だ!
言葉も出せず、シーズは両手を前に突き出した。
これ以上は勘弁してくれという意思表示である。敗北を認めたのだ。
マリーレイアは脚を組んで踏ん反り返りながら、うなだれるシーズを上から見下す。
「どうせあれだろ? どうかお助けください領主様ぁっ……てな具合に美人に頼られて、任せろって意気込んだついでに下半身もやる気を出しちゃったんだろ?」
「…………」
敗者を嬲るようなマリーレイアの言葉責めが、瀕死の心を無慈悲に蹴りつける。
まるでその場に居たかのような見事な推察。流石は付き合いの長い幼馴染である。
「これだから童貞坊やは、いや、もう童貞じゃないか、ただのチ○コ野郎だな」
「はい……ただのチ○コ野郎ですみません……」
シーズにはもう抗う気力は一欠片も残ってはいなかった。その様子はまるで処刑が終わるのをただ黙って待つ囚人のようだ。
「まっ、べつにお前が誰とセックスしようが知ったことじゃないけどな」
「え?」
「フィアンセでもあるまいし、なんで私がお前の下半身事情をいちいち気にしなきゃならないんだ」
「それは、たしかに……」
「お前があんまり分かりやすいから、カマを掛けただけだよ」
「おいっ!」
「あん? なんか文句でもあるのか?」
「いえ、なんでもありません……」
マリーレイアの真意がどうであれ、弱みを握られたことに変わりはなかった。
拷問のような空気が続く最中、ドアの外から物音が聞こえた。誰か来たのだろうか?
もしもここでアルテラが入って来たら状況はさらに悪くなるだろう。
シーズが焦っていると、部屋の外から「だんな様ぁ、あけてくださいぃ」と、間延びした幼い声が聞こえてきた。どうやら外にいたのはミリアだったらしい。
「誰だ?」
この屋敷には不釣り合いな幼い声にマリーレイアが疑問を浮かべる。
「さっき説明しただろ、アルテラの娘だよ」
彼女もまだミリアとは会っていなかったようだ。
シーズが内側からドアを開けてやると、そこには両手にお菓子の載ったトレイを持ったミリアが立っていた。
「茶菓子を持ってきてくれたのか?」
「はいっ、でもぉ手がつかえなかったから、ドアがあけられませんでした」
失敗しちゃったと照れ笑いをする少女。
確かに子供の小さな手では難しかっただろう。シーズは偉いぞと褒めながら頭を撫でてやると、ミリアからトレイを受け取った。
「紹介するよミリア、彼女は幼馴染のマリーレイアだ」
「おさなな?」
「すごく仲のいい友達だ」
ソファに座ってこちらを見つめているマリーレイアに向かって、ミリアはちょこんとお辞儀をする。
「こんにちはぁ、ミリアです」
するとマリーレイアは何故かショックを受けたように固まると、ミリアを凝視したまま、何か言おうとして言葉にならず口をパクパクと動かしていた。
「あっ、あ、あぁ……」
「マリー?」
なんだか様子がおかしい幼馴染。シーズがどうしたのかと声をかけたそのときだ。
「いヤあぁぁぁァァンッ♡ かンわいいイイィッ♡♡」
「――――は?」
シーズが今まで見たこともないような、蕩けた顔をした幼馴染がそこに居た。