相当な覚悟をしていたというのに、マリーレイアから肩透かしな反応をされたシーズは、部屋から出た途端、脱力感からため息を漏らした。
昨夜の情事のせいで、彼女が自分に好意を寄せているものだと思い込んでいたシーズだが、これではただの道化者である。
(なんか……俺だけ慌てるのが馬鹿らしくなってきたぞ)
勘違いの恥ずかしさが薄れるにつれ、今度は胸のうちにモヤモヤとしたものが湧いてきた。
(そもそも、なんで俺がアルテラの機嫌をうかがう必要があるんだ?)
シーズはアルテラの主人であって、べつに恋人というわけではないのだ。だから誰と寝たところで咎められる謂われはない。
(アルテラだって、本当に何も気にしていないのかもしれないし……そうだよ、堂々と会えばいいんだ)
一転して強気になったシーズは、力強い足取りで屋敷を闊歩しだす。
そして、途中で見つけたミリアに母親がどこにいるのか尋ねたところ、どうやら裏庭で洗濯をしているらしい。
(よし、この際だからアルテラの気持ちもハッキリさせておこう)
シーズが意気込んで向かった裏庭では、張られたロープに干された衣類が風に吹かれ、気持ちよさそうにはためいていた。
どうやら洗濯は終わっているようだ。辺りを見回すと、近くで地面にしゃがみ込んでいるアルテラの姿を見つけた。
よく見れば、アルテラの目の前には一匹の猫が寝転がっており、彼女に頭を撫でられながら気持ちよさそうに喉を鳴らしている。
その猫には見覚えがあった。ここら辺を縄張りにしている野良猫で、人が近づくと警戒してすぐに逃げてしまうのだが、今はまるで別猫かと思うほど大人しくアルテラに撫でられていた。
(獣人は動物に懐かれやすいのかな?)
不思議に思いながらシーズが近づくと、声を掛けるまえに彼女の獣耳が足音を察知してピクリと動くと、アルテラが後ろを振り向いた。
「旦那様?」
「やっ……やぁアルテラ、今日はその……洗濯にはもってこいのイイ天気だネ」
さっきまでの威勢はどこにいったのか、今朝のことを話すつもりが、アルテラを前にした途端、つい日和ってどうでもいい天気の話題で誤魔化してしまう情けない領主様だった。
「ええ、そうですね。シーツの汚れも綺麗に洗っておきましたわ」
「んんっ!? そっ、そうか……すまないな」
及び腰になっていたシーズに向けて、アルテラの先制パンチが鼻っ面に飛んできた。
思わず怯んでしまうシーズに、アルテラは尚も言葉を続ける。
「いえ、それがメイドの仕事ですもの。旦那様がどのように夜をお過ごしになろうと、お気になさることはありませんわ」
「いやっ、マリーとはべつに、そういう関係ではなくてだな……あれは酒のせいというか……」
「まぁっ! 女性を手篭めにしておいて関係ないだなんて、旦那様ったら酷いお方ですのね」
それはマリーレイアの事を言ってるのか、それともアルテラ自身の事を言っているのか――
「んぅぅっ!? ちょっと待ってくれ、俺はそんなつもりで言ったんじゃなくて……!」
しどろもどろに言い訳を始めたシーズを、神妙な面持ちで見つめていたアルテラだったが、その様子がおかしかったのか、堪えきれないようにクスクスと笑う。
「アルテラ……?」
「ふふっ、申し訳ありません。旦那様があんまりにも慌てていらっしゃるものですから」
どうやら彼女にからかわれていたらしい。
こうなっては主人としての面目などあったものではない。
仕方なくシーズは、素直に尋ねることにした。
「マリーと寝たこと、怒っているかい?」
「いいえ、旦那様がなさることに、メイドの私が口出しするなど、恐れ多いことですわ」
アルテラは寝転ぶ猫を指先で撫でながら、いつもの柔和な笑みをシーズに向ける。
口ではそう言っているけれど、その完璧な笑顔からは彼女の本心がまるで見えなかった。
(けど、これ以上は野暮かな……)
どれだけ問いただしたところで、アルテラがその笑みを崩すことはない気がしたシーズは、それ以上の詮索を諦め、彼女の隣にかがみ込む。
猫は実に気持ちがよさそうに、されるがまま、アルテラの指に撫でられている。
シーズも撫でてみようと手を伸ばしたが、そのとたんに、機敏な動きで身を翻して逃げてしまった。
「あらっ、逃げてしまいましたね」
「あいつはきっとオスだな。美人のアルテラにだけ撫でさせるとは、けしからん奴め」
「……ふふっ、どうでしょうね」
冗談めかして言うシーズに、アルテラが目を細めていると、そこにもう一匹、遠巻きに見ていた別の猫がやってきて、シーズの足にすり寄ってきた。
「おっ、こいつは人懐っこいな」
シーズが抱き上げても猫は腕の中で気持ちよさそうにゴロゴロしている。
しかし、アルテラが手を近づけた途端、大人しかった猫は牙をむき出しにして威嚇すると、彼女の手を引っ掻いて腕の中から逃げてしまった。
「いたっ……」
「大丈夫か!?」
見るとアルテラの手にはうっすらと赤い爪跡が残っていた。
「さては、メス猫だったのかもな? 美人のアルテラに嫉妬したんだ」
「……そうかもしれませんね」
寂しそうに笑いながら手の跡を見つめる彼女は、何かを諦めたような瞳をしていた。
場を和ますための軽口だったが、予想外に暗い反応をされ気まずい雰囲気になってしまう。
「化膿するといけない。手当てをしよう」
「いえ、これぐらい平気ですわ」
「いいから、ほら、行こう」
どうにも顔色のすぐれないアルテラが心配になり、シーズは彼女の肩を優しく抱きながら自室へ連れていった。
そして、棚から薬類の入った箱を取り出すと、彼女の手をとって赤くなった箇所に軟膏を塗る。
「んっ……」
傷に沁みたのか、アルテラがピクッと反応する。
(手当てしてるだけなのに、妙に艶かしいんだよな……)
やましいことをしているわけではないのに、どうしても彼女の手の温もりを意識してしまう。
薬を塗り終え、シーズがその手を離そうとしたところで、アルテラのほっそりとした白い指が、離れようとするシーズの手をやんわりと引き止めた。
「旦那様……」
縋るようにシーズを見つめるアルテラ。その瞳はアメジストのように煌めいている。
シーズは安心させるようにアルテラを抱きしめた。腕の中に収まっている彼女の肩がいつもよりか細く見える。
「私、本当は少し不安でしたの……だって、もしも旦那様に捨てられたら、私たち親子に寄る辺などありませんのよ……」
「大丈夫だアルテラ、そんな心配しなくてもいい、キミたちを見捨てるような真似は絶対にしない」
「あぁ……旦那様、お願いでございます、どうかお情けをくださいませ……」
アルテラの求めに応じて、シーズは彼女の柔らかな唇を吸い寄せた。