ある日のうららかな陽気に包まれた午後のこと。
マリーレイアはミリアを胸に抱きながらソファに寝そべり、気だるげに欠伸をした。
「ふぁぁ……退屈だねぇミリアちゃん、なにか面白いことないかなぁ」
「おもしろいことぉ、おいかけっこしますか?」
「ん〜、身体を動かすのもいいけど、今は知的好奇心をそそられる事がしたいかなぁ」
はしたなく脚をほうりだしているせいで、マリーレイアのスカートはめくれて太ももがきわどい位置まで露出している。
のばされた白く美しい脚線はまるで男を誘っているかのようだ。
「ちてきこうきしん……ご本よみますか?」
「家から持ってきてた本は全部読んじゃったんだよなぁ」
「それはこまりましたねぇ」
あまり困った感じがしない相槌を打ちながら、ミリアはヌイグルミのように大人しくマリーレイアの腕に収まっていた。
最近ではもっぱらミリアが彼女の暇つぶし相手をしてくれている。
ミリアもマリーレイアには懐いているようだし、マーサの代わりにマリーレイアが勉強をみたりもしているようなので、良い関係が築けてなによりだと、シーズも思うのだが――。
「うん、それはわかったけど、ここは執務室で、俺はいま仕事中なんだよね」
机に向かって領地の収支報告と睨めっこしていたシーズは、書類から目を離すと半眼でマリーレイアを見つめる。
「へぇ、領主ってのも忙しいんだな? あぁ、それにしても暇だなぁ〜」
シーズの遠回しな抗議など聞く耳持たない幼馴染は「さあ、私を構え!」と圧をかけてくる。
このまま無視して仕事を続けることもできたが、マリーレイアがヘソを曲げたらもっと面倒なことになるのは明白だった。
(マリーの興味が向きそうな場所か……)
屋敷の中でそれっぽい場所といえば、シーズが思いついたのは屋敷の書庫の存在だった。
代々の領主が収集した書物が眠っているのだが、目録もないし全てを調べるにも量が多すぎるしで、今現在は物置のような扱いとなっている。
もしかしたら、その中にはマリーの興味を引く書物もあるかもしれないと考えたシーズは、そこへ二人を連れて行く事にした。
普段はあまり立ち寄ることのない屋敷の奥まった場所にひっそりと佇んでいるドア、それが書庫の入り口だった。
シーズは懐から取り出した鍵でドアを開けると、中から漏れてきた独特な古びた匂いが鼻をくすぐる。
部屋には窓がないせいで、日中でも中は暗く、シーズが壁に備え付けられたランプに火を灯すと、ようやくその全貌が明らかになった。
書庫というだけあって、扉から向かって部屋の中央と両壁に本棚が並んでおり、いつの時代に書かれたものなのか、劣化して表紙がボロボロになっているものや、装丁もなく束として括られているだけのものもある。
これらにどれだけの価値があるものなのか、シーズにはイマイチぴんとこないのだが、隣でマリーレイアは爛々と目を輝かせていた。
(よしっ、食いついた!)
まるで玩具を見つけた子供のように、マリーレイアは本棚に駆け寄ると、適当に棚から書物を引っ張り出して、パラパラとめくり始めている。
ミリアも近くの棚にある本を取り出してページをめくってみるが、「だんな様ぁ、よめないですよぉ」とシーズに差し出してくる。
「ここにある本は、ミリアにはちょっと早いかもなぁ、どれどれ俺に見せてみな」
受け取った本をシーズがパラパラとめくってみる。
(なるほど……なるほどね、うん、さっぱりわからん! なんだこれ……)
ミリアの前で格好をしようとしたものの、そこにはシーズの見た事もない文字が並べられており、本の内容など一文字たりとも理解できない。
「あー、うん、これはな……ちょっとミリアには難しいかなぁ」
「だんな様はよめるんですねぇ、すごいです!」
羨望の眼差しで見つめられてしまい、今更「本当は読めませんでした」と白状しずらい状況だ。
「まっ、まあね、これでも領主ですし?」
「なんて書いてますか?」
「んぅ!? これはあれだ、とても学術的なことだからして、ミリアに説明するのは少々難しいというか……」
なんとかその場を誤魔化そうとするシーズだったが、いつの間にか近づいていたマリーレイアが後ろから本の中を覗き見る。
「なになに、卵を二つ、よくかき混ぜてから、塩を少々、刻んだ野菜を入れて……と、こりゃあ随分と”学術的”な内容だなぁ?」
なにかご大層な事が書かれているのかと思いきや、何て事のないただの料理メモだったようだ。
「まじか……というか、マリーはこの文字が読めるのか?」
「ああ、これは古い獣人語だよ、今じゃ獣人の国でも一部でしか使われてないけどな」
そういえば、旅の途中で出会った獣人のアリューシャも自分と同じ言語を喋っていたことをシーズは思い出した。
「へぇ……でも、なんでうちの書庫に獣人語の本があるんだ?」
「私が知るわけないだろ。おまえこそ、先代から何も聞かされてないのか?」
「いや全く」
あっけらかんと答えるシーズに、マリーレイアはやれやれと嘆息しながらも、その表情はどこか嬉しそうだ。
「しかし、なんだか面白くなってきたじゃないか」
「なにがさ?」
「偶然迷い込んだ獣人の母娘を迎え入れた領主様の屋敷には、なぜか獣人語の書物が眠っていた」
「そんなの、たまたまだろ?」
「さらにコレも」
マリーレイアは胸元をまさぐると、そこから黒石の括られた紐を引っ張り出す。それは以前、シーズが彼女の実家を訪れた際に不思議な現象を起こした、あの宝石だった。
どうやら身につけて持っていたらしい。
「獣人の国で発掘された出土品と、なぜか共鳴するような現象を起こしたお前の指輪」
シーズの指に嵌められた当主の指輪をさしてニヤリと口元をつり上げる。
「どういうわけか、お前は獣人と縁があることは確かさ」
言われてみれば、これだけ偶然が重なるのも不思議な話であるが、どうもマリーレイアは話を面白おかしい方向へ持って行こうとしたがっているようだ。
「いや、昔は獣人と交流があったとかじゃないか? 指輪のことは不思議だと思うけどさ、別にだからどうしたというわけでも……」
シーズの淡白な反応に、マリーレイアは苦虫を噛み潰したような顔する。
「それじゃあつまらんだろうガッ! 過去にこの地の領主が獣人を奴隷にして狂気の宴を繰り返していたとか! 実はお前の先祖は獣人だったとか! もっと面白そうな方向で考えろよ!?」
「おいっヤメロ! うちを使っておかしな妄想をするな!」
まるで根も葉もないゴシップを求める暇な主婦のようである。
「まあいいさ、そういうのを調べるのが面白いわけだし? しばらくこの書庫に出入りさせてもらうからな」
「それは構わないけど、無駄骨になっても知らないぞ?」
「それもまた醍醐味さ」
学者というのは酔狂なもんだと呆れながら、まさか本当に我が家には隠された秘密でもあるのだろうかと考えそうになってしまう。
(そんなまさかな、おとぎ話じゃあるまいし)
シーズは自分の想像に呆れながら嘆息する。
そのとき、ふと下からミリアが自分をじっと見上げていることに気づいた。
「どうしたミリア?」
「だんな様も、あのご本、よめなかったです?」
「…………」
その後、素直に白状したらミリアにちょっとがっかりされてシーズは凹んだ。