ある日の昼下がりのこと、マリーレイアは中庭のテラスでアフタヌーンティーに興じていた。
向かいの席にはミリアを座らせ、アルテラは給仕として側に控えている。
優雅な午後のひとときに見えるが、そこに会話はなく、場は息苦しさを感じるほど重々しい静寂に支配されていた。
理由は明白だ。いつもなら彼女たちの間を取り持つ役割をしているシーズが不在だからである。
彼はお茶会が始まるや否や、残っている仕事を片付けねばならないという理由で早々に退席してしまったのだ。
しかし、本当は仕事なんて方便で、シーズにはとある目論見があった。
彼は彼女たちの親睦を深めるために、このお茶会を画策したのだ。
というのも、以前にマリーレイアと一夜を共にしたのをアルテラに目撃されてしまったことで、シーズは自分を巡って女同士の諍いが生じてしまったと考えた。
しかし、後から二人に尋ねてみれば、どちらもさして気にしてないような反応をするではないか。
そこでシーズはまた余計なことを考えてしまった、「なんだ、じゃあ何も気にせず三人で仲良くすればいいじゃないか!」と。
なんとも恐れを知らぬ所業である。どうやらこの領主様、女の言葉を疑いもせず真に受けてしまう性質のようだ。
その結果、この凄惨なお茶会が幕を開けてしまった。
シーズとしては「いつも男の自分が一緒に居たら、遠慮して女同士の会話もできないだろう」と気を利かせたつもりであったが、こんなの危険な薬品を適当に混ぜるエセ錬金術士のごとき愚行である。
(旦那様は何を考えていらっしゃるのかしら……)
(あのバカは何を考えてるんだ……)
どうやら彼に対する不満という点に関してだけなら、二人の胸中は一致しているようだ。
そして、この不穏な空気に包まれる中で、ミリアだけが何も知らずご機嫌な様子で菓子を食べていた。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙。それを先に打ち破ったのはマリーレイアだった。
「そういえば、あいつ抜きでアルテラさんとこうやって話すのは初めてかな」
紅茶の香りを味わいながら、マリーレイアは給仕をするアルテラに語りかける。
「そうでございますね――マリーレイア様はいつも旦那様とご一緒ですから」
「なぁにキミほどじゃあないさ――私は昼間だけだしな」
ほんのご挨拶とばかりに相手の鼻先にジャブをかます淑女たち。
「ウフフッ」
「アハハッ」
ミリアの獣耳が不穏な空気を察知したようにピクリと揺れる。それは獣人の本能か、それとも幼いながらも女の直感か――。
お菓子を食べる手を止めて、まるで笑い声で威嚇しあっているような二人を交互に見比べる。
ミリアはこれによく似た光景に見覚えがあった。
そうだ、これは屋敷の近くに住み着いているメス猫たちが喧嘩をする直前の様子に似ているのだ。
であれば、なーなーと、剣呑な鳴き声で牽制し合っている拮抗状態が崩れたが最後、意味をなさない金切り声をあげながら、取っ組み合いの喧嘩が始まってしまうだろうことは幼女にだって想像ができる。
(たいへん! おかしがあぶない!)
ミリアはまだ菓子の残っている皿を確保すると、この後に繰り広げられるキャットファイトを予感し、ハラハラしながらも手にした焼き菓子をせっせと食べる。
「アルテラさんて、アイツのこと、どう思ってるのかな?」
幼女が菓子をもぎゅもぎゅと頬張りながら見守るなか、マリーレイアは核心に迫る右ストレートを放った。
「どう、と申しますと?」
「シーズのことを一人の男として好きなのかい?」
「私は一介の使用人にすぎません。旦那様に懸想するなど、恐れ多いことですわ」
「夜のお供も使用人の仕事だと?」
その言葉にアルテラの顔が一瞬こわばったように見えたが、やはり彼女の感情は柔和な笑みで覆い隠されていた。
「旦那様は私たちのような身寄りのない獣人の親子に手を差し伸べてくれたお方です。旦那様がお望みでしたら、私はなんなりと」
「へぇ、そりゃあ殊勝なことだ」
アルテラが屋敷に住み込むこととなった経緯をシーズから聞いていたが、その全てを信じるほどマリーレイアはお人好しではなかったし、二人の関係にも違和感を覚えている。
このような美女が側にいれば、女を知らなかったお坊ちゃんがほだされてしまうのも無理はないが、それにしたって、シーズという男はこうも色香に弱く節操のない男だったのだろうか?
昔からお人好しで考えの甘いところがあったけれど、生真面目で曲がったことが嫌いな性分だったはず。
誕生日パーティーで再会したときから、シーズの変化には気づいていたが、この屋敷に来てその理由もわかった。
マリーレイアには、今のシーズがアルテラという沼にはまって抜け出せなくなっているように見えた。
「マリーレイア様こそ、旦那様にご好意を抱かれているのではございませんか?」
意趣返しのように尋ねるアルテラ。しかしマリーレイアは面と向かってこう答える。
「そうだよ、私はあいつを好いている。もちろん一人の男としてだ」
マリーレイアの意外な返答にアルテラは目を瞬かせる。
「あいつは昔から、単純でお人好しで甘っちょろくて……そのくせ妙に頑固なところもあってさ」
過去を懐かしむように、マリーレイアは空を見上げる。
「普通の男は私みたいな捻くれた女を煙たがるっていうのに、あいつだけはいつも私の側に居てくれた……そんなやつ、好きになるのは当たり前だろ?」
シーズのことを語るマリーレイアの表情は優しく、彼女にとって彼が大切な存在だということが伝わってくる。
「だからさ、もしもあいつを誑かそうとする女がいるなら――ああ、それは見過ごせないさ、なあ?」
音を立てて置かれたティーカップ。マリーレイアの鋭い視線がアルテラを射抜く。
人形のように丹精な顔立ちをした彼女が凄味をきかせると、その顔はまるで呪いの人形のように恐ろしい。
しかしアルテラの胆力も大したもので、顔に張り付く笑みには微塵の揺らぎも感じさせない。小娘とは培ってきた面の皮の厚さが違うのだろう。
この場にシーズがいたら睨み合う女のプレッシャーに押し潰され竦み上がっていたに違いない。
一触即発。
傍観していたミリアは緊張にゴクリと喉を鳴らして菓子を飲み込む。
そしてついに衝突するかと思ったそのとき――。
「なぁんてね」
張り詰めた空気は、マリーレイアの気の抜けた一声であっさりと萎んでしまった。
これにはアルテラもきょとんとした顔になる。
「普通の女っていうのはこんな風に恋バナで盛り上がるんだろ? うん、なかなか楽しいお茶会だったな」
カラカラと笑うマリーレイア。それはまるで、今までのやり取りは全部お芝居でしたといった口ぶりだが、もちろんそんなわけがない。
マリーレイアが本気だったことはアルテラにも分かっていたし。それが相手に伝わっていることはマリーレイアにも分かっている。
冗談交じりに自分の胸中をさらけ出すことで、表立った対立は避けながらもアルテラに釘を刺したのだ。
「そうそう、これから私のことはマリーと呼んでくれ、私もアルテラって呼ばせてもらうからさ」
アルテラにとってもマリーレイアと衝突する利点などありはしないので、その申し出を受けないわけにはいかないだろう。
「かしこまりました……マリー様」
こうして二人の間には、晴れて新たな絆が結ばれたのであった。
例えるなら、相手が逃げられないように互いの腕に巻きつけられたロープのような。
「やあやあ二人とも、なんだか話が弾んだみたいだネ?」
そこへ頃合いを見計らったかのように、元凶となった男が呑気な面をして歩いてきた。
これには女性二人もイラッとせざるをえない。
「ああ、おかげさまで有意義な会話をすることができたよ、後片付けはお前がやっとけよ、ナッ!」
横を通り過ぎるマリーレイアの肘がシーズに脇腹に食い込んだ。
「痛づぅ!?」
腰を折って痛がるシーズの頬を、反対側からアルテラの指が摘みあげる。
「まあ、ありがとうございます旦那様。それではお願いいたしますね」
「はっ、はひ……」
笑顔の向こう側に恐ろしい圧力を感じたシーズは、何も言い返せぬまま従ってしまう。
そして女性二人が去っていくのを黙って見届けるのであった。
「女はわからんなぁ、ミリア」
シーズは得心がいかぬ様子で椅子に座ると、冷めた紅茶を飲みながら少女に語りかける。
「わからーん」
ミリアもそれに頷きながら最後のお菓子を口に運んだ。