高く昇った太陽が青い空から街を照らす昼下がり。
宿泊客の居ない宿は閑散としており、準備中の薄暗い酒場ではスフィアナがひとり慣れた手つきで掃除をしていた。
テキパキと床にモップを掛け、テーブルを拭き、窓を磨き、そして最後にまとめたゴミを店の裏手に捨てる。
一通りの掃除を終えると、後は客が入り始める夕方まで自由に過ごすことができる。
そうした空き時間の大半を彼女は教養を身につけるために本を読んで過ごしていた。
もちろん貧乏な叔父夫婦が買い与えてくれる訳がないので、これは宿に泊まった”優しいおじさま”から貰ったものや、客から稼いだ金の一部をはたいて自分で購入したものである。
彼女が本を読むことができるのも、以前の暮らしで読み書きなどの基礎を学んでいたお陰だった。この辺りで暮らす家庭には子供の教育に回す余裕などなく、大抵の子供は親の仕事を手伝わされるか、ほったらかしにされているので、文字を読むこともできない。
叔父夫婦の元で不便な暮らしをすることで自分以外に頼れるものはないと自覚した彼女の精神は逞しさとしたたかさを手に入れた。
だからスフィアナは今できることをなんでもする。
勉強もするし、裁縫や炊事も出来るようになった、生きるためには、もはや汚れた体を男に売ることも厭わない。
スフィアナは店の裏手に出ると日差しを遮る木陰の根本に腰掛けながら、読み途中の本をめくる。
今読んでいるのは貴族の恋物語だったが心の深い場所に男に対する不信感を植え付けられてしまったスフィアナからは、お姫様を夢見るような純真さはとっくに失われている。
(メイドとしてなら、どこか大きな屋敷で雇ってもらえるかしら?)
彼女は将来の働き口を現実的に考えるのだった。
スフィアナがぼんやりと思想に耽っていると、遠くから自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
声のする方を振り向くと、一人の少年がスフィアナに向かって手を振りながら駆け寄ってくる。
それは近所に住む鍛冶屋の息子だった。
まだ十に満たない少年はスフィアナよりも背が低く、生え変わりの始まった歯抜けの口を開けて無邪気に笑っている。
少年は男を惹きつけるスフィアナの魅力がまだ理解できないほどに幼く、だからこそ彼女も余計な気を使わないですむので、少年を邪険にせず姉のように面倒をみていた。
「また一人で遊んでいるの?」
「うん! とーちゃんが外で遊んでろって」
少年もまた家庭環境には恵まれていなかったが、このあたりに住んでる子供はみんなこんなものである。
少年がニコニコしながらスフィアナに手の平を見せると、そこには握り拳ぐらいの大きさの焼き菓子が乗っていた、菓子というよりもパンに近いものだったが、それでも少年に幸福を与えるには十分である。
「どうしたのそれ?」
「教会で貰ったんだぁ」
教会は貧しい人のために炊き出しをしたり、たまにこうして菓子を配ったりもする。立派なことだと思いながらも、教会という単語を聞いたスフィアナは眉をひそめた。
「スフィアナも貰ってきなよ」
「私はいいわよ」
「なんでさ?」
「教会って好きじゃないの」
「ふ〜ん、教会嫌いは悪い子なんだよ?」
「そうね、私は悪い子だわ」
少年は菓子を半分に千切って片方をスフィアナに差し出した。
「半分あげるよ」
「私はいいわよ、あなたが全部食べなさい」
「そっか」
少年は遠慮なく菓子を頬張りながら顔をほころばせる。
「あなたは幸せそうでいいわね」
「スフィアナはあんまり笑わないよね」
「あら、私だって笑うわよ、ほら」
お客を相手にするときの綺麗な笑顔を披露してやるが、少年は変なものを見るような顔をした。
「なんか変だよ」
「うるさいわね」
二人がそんなやりとりをしていたら、宿から出てきた叔父が小声でスフィアナを呼びながら手招きした。
そういえば最近は”犬に餌をやってなかった”ことを思い出したスフィアナは、ため息をついて立ち上がると少年の頭を撫でた。
「ごめんね、用事があるから行かないと」
「わかった、ばいばいスフィアナ」
「ええ、またね」
そう言って叔父と一緒に納屋の方へと向かうスフィアナを見送りながら、少年は残りの菓子をもぐもぐと頬ばった。
それからしばらく手持ち無沙汰にしていた少年だったが、ふと思いついてスフィアナと叔父が消えた納屋へと向かった。
別に何を疑った訳ではなく、ただちょっと面白そうだからという好奇心に突き動かされた少年は、納屋の裏手に回り込むと、壁際に置かれた木箱によじ登って外から小窓を覗き込んだ。
すると、ちょうど見下ろす形でスフィアナと叔父の姿が目に入った。少年の目に映ったのは、その場に立ったまま動かないスフィアナと、彼女の前にしゃがむ叔父の姿であった。
(なにしてるんだろう?)
疑問に思った少年だったが、よく目を凝らして見ると、スフィアナはスカートを両手でたくし上げており、叔父は晒された彼女の股間に口を付けているようだった。
その行為にどんな意味があるのか彼には理解できなかったが、どうしてか目を離すことができず、その光景をじっと見つめた。
ベロベロと彼女の恥部を舐める叔父はまるで犬のようで、小屋の中から漏れてくるスフィアナの艶やかな喘ぎ声を聞いていると、少年は訳もわからず下半身がムズムズするのを感じた。
(なんだこれ、変な感じ……)
精通もしていない少年にはそれがなんなのか分からなかったが、これ以上見ていたらいけない気がして、モヤモヤとしたものを抱いたままその場を逃げ出したのだった。
*
そして次の日、また木陰で本を読んでいたスフィアナの元へ少年がやってきた。
けれど、いつもと違って妙にソワソワしている少年の様子に、スフィアナが怪訝な顔をする。
「どうしたの? 何か嫌なことでもあった?」
「えっと、その……」
このとき少年がスフィアナに昨日の出来事を尋ねたら、彼女はどんな反応をしただろうか?
素知らぬ顔でシラを切っただろうか。それとも少年の口止めする代わりに性の手ほどきをしてやっただろうか。
けれど、少年は聞いたらいけない気がして、途中まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「ううん、なんでもないよ」
「そう? ほら、また顔を汚して、こっちにおいで」
「うん……」
遊んでいる時についた土埃を拭ってもらいながら、姉のように優しく接してくれるスフィアナが、あのときはまるで別人のような顔をしていたことを思い出す。
(なんだろう、ドキドキする)
少年はその感情の正体を知らないまま、それ以降もスフィアナと叔父の秘事をこっそりと覗き見るようになったのであった。