(なんだ、これは……)
その日、街に赴任していた衛士のアリューシャは通報のあった現場の異様さを目の当たりにし、眉間にシワを寄せた。
現場には刺し傷が死因とみられる男の遺体が二つ。血の付いた二本のナイフが遺体の側に落ちていたことから、男たちはそれを使って争ったと推測できる。
そして、少し離れたところに暴行を受けたとおもしき女が二人。
片方の女は全身を殴打された形跡があり、特に顔面の損傷は酷く意識不明の重体。まだ息があったので急ぎ病院に搬送させた。
そして残されたもう一人の女は大きな外傷こそ見当たらないが、無残に破り取られた衣服から男たちにレイプされたのは一目瞭然であった。
彼女の精神的なダメージは窺い知れないが、この場に事の顛末を知る者は他にいない。アリューシャはなるべく刺激しないよう女に話しかけた。
「すまないが、いくつか聞きたいことがある。自分の名前は言えるか?」
「……スフィアナといいます」
「スフィアナ、辛いとは思うが、ここで何があったのか教えてくれ」
「……わたしは……ここに呼び出されて……そうしたら……彼女と一緒に待ち伏せしていた男が……無理やり……私を……ぅっ……ぅゥッ……」
悲壮な面持ちで語るスフィアナはそこまで言って、顔を手で覆い嗚咽を漏らした。
証言を聞いたアリューシャが眉を潜める。それは悲惨な告白に胸が痛んだからではなく、自身の見解とスフィアナの証言に食い違いがあったからだ。
アリューシャは現場の状況から、女二人が男たちから暴行を受けたものだと考えていたが、今の話だと標的になっていたのはスフィアナ一人ということになる。
「つまり、倒れていたもう一人の女が、男二人と共謀してお前を狙ったということか?」
「はい……私は以前から仕事場で彼女から嫌がらせを受けていました……でも、まさか……こんなこと……」
女らしさとは無縁に生きてきたアリューシャですら、涙を流すスフィアナを美しいと感じてしまった。この美貌が原因で妬みを買ったというならば納得できてしまう。
しかし、だとすれば被害者はスフィアナ一人になるはずなのに、現場の状況からみて男達が争ったのは間違いなかった。
「それでどうして、こんなことに?」
「……わかりません……私が襲われて……その後、彼女も暴行されて……男たちが突然争いはじめて……」
要領を得ない話だったが、状況から考えれば、スフィアナをレイプした後に内輪揉めを起こしたというのが妥当な線だが、アリューシャはどこか納得がいかなかった。
(なにかおかしい……けど、いったい……)
アリューシャはスフィアナをじっと見つめる。
恐ろしく美しい女である、しかしそれだけだ。
スフィアナに男を操る不可思議な力があるなど、誰が想像できるだろうか?
だからアリューシャもそれ以上の追求はしなかった。
「すまない、辛い話をさせてしまったな。今日は安静にしてよく休め。後日、詰所でもう一度話を聞かせてもらう」
「はい……わかりました……」
スフィアナを家に送り届けた後、アリューシャは彼女が働いていた仕事場の女たちに話を聞いて回ったところ、病院に運ばれた女は日頃からスフィアナのことを妬み、嫌がらせをしていたという証言が取れたことで、やはりスフィアナはただの被害者であるという認識が強まった。
後日、詰所に訪れたスフィアナから再度の事情聴取をしたが、やはり見解は変わらなかった。
入院している女も意識不明で、これ以上の捜査は難しく、結局この事件はスフィアナを妬んだ女が男を使って暴行した挙句、内輪揉めをから刃傷沙汰に発展したという結論に至った。
「街を離れるのか?」
「事件の噂が広まってしまい、この街で生活するのは難しくなったので……」
「そうか……その、気の利いた事を言うのは苦手なんだが……強く生きろよ」
女だてらに衛士として悪漢を張り倒すアリューシャだったが、傷ついた女をどうやって慰めればいいのかは分からなかった。
しかし、その不器用な言葉にスフィアナは穏やかに微笑んだ。
「ありがとうございます……えっと、そういえば、お名前は……」
「そういえば、まだ名乗ってなかったか。アリューシャだ」
「アリューシャさん……お世話になりました」
「ああ、達者でな」
最後に握手をして二人は別れた。
これがスフィアナとアリューシャの出会いであった。
*
スフィアナが街を去ってから暫くして、危篤状態だった女の意識が戻ったとの知らせを受けたアリューシャは病院に駆けつけた。
病室のベッドに横たわる女の顔は包帯で覆われ目と口だけが辛うじて見えている。
医者からは、意識は戻ったものの禄に喋ることもできず、おそらく長くは持たないと聞いた。
「おい、私の言葉が聞こえているか?」
「あ……ぁぁ……ぁぅ……」
アリューシャの問いかけに、女は口をパクパクさせながら掠れた呻き声を出すだけだった。
(これはダメだな……)
とても取り調べができる状態でないことにため息をつく。
「まあ、スフィアナの証言だけで十分か……」
なんとなく口から出た独り言だったが、それに反応して女が一際大きく呻き、腕を振り回す。
「ぁぁっ……ぁぁぁッ……! ずふぃ……あ……ぃぁぁァっ!」
それはまるで、なにかに怯えるような悲鳴だった。
「おっ、おい! ちぃッ、医者は……」
「ずふぃ……あっ、あぁぁ……ッ! あ……ぐ……ぁ……」
アリューシャは突然発作を起こした女に驚き、急いで医者を呼びに行こうとしたのだが、その前に女はピタリと動きを止め、腕は力なくベッドに落ち、二度と動かなくなった。
(なんだ……こいつは最後に、何を言おうとした……?)
首謀者の死亡によって事件は幕を閉じた。
*
あの事件の直後、アリューシャの胸にはしこりが残っていたけれど、日々の忙しさによって、それも次第に薄れていった。
そして、スフィアナのことも記憶から消えようとしていた頃のことだ。
アリューシャが囚人の護送任務で収容所を訪れたとき、彼女は偶然にもスフィアナの名を呼び続ける囚人と出会った。
看守に聞けば、その男は妻を殺し、娘を犯した罪で牢屋に入れられたそうだが、それ以来、牢獄の中で狂ったように娘の名前を呼び続けているそうだ。
「おい、お前」
「アァぁぁ……すふぃアな……すふぃあナ……ァァァ」
独房の鉄格子から手を伸ばしてくる男はまるで亡者のようだった。
記録を調べたところ、それがスフィアナの父親で間違いなかった。
アリューシャは廃人となった男の哀れな姿を見下ろしながら、名前の主を思い出していた。
記憶の中でも、彼女は恐ろしく美しかった。
(スフィアナ、おまえはいったい……)
アリューシャとスフィアナが再び出会うのは、それから暫く先のこととなる。
