さて、獣人の母娘が領主様のお屋敷に住み始めて数日が経過した。
穏やかな早朝、ベッドで眠っていたミリアの獣耳が朝日の気配を感じてピクンッと揺れると、重たい瞼がゆっくりと開かれる。
「んぅ……にゅ……」
くるまっていた毛布から抜け出し大きな欠伸をしてから、ミリアはよたよたと覚束ない動きでベッドから降りると、卓の上に置かれた水桶に手を入れ、掬った冷水でぱちゃぱちゃと顔を洗う。
水の冷たさに半分眠っていた頭が冴えて、眠たげだった瞳もぱっちりと開く。
(おかあさん、いない)
部屋にある二つのベッドのうち、母親の使っている方はもぬけのから。ミリアが起床する時間、スフィアナはもう台所で朝食の支度をしている。
「んしょっ」
ミリアはバンザイしながらごそごそと寝巻きを脱いで服に袖を通すと、自分が使っていたベッドの毛布を畳んでシーツのシワも綺麗に直してから、母親のいる台所へと向かった。
「おかあさん、おはよぉ」
「おはようミリア」
食堂のテーブルを拭いていたスフィアナが少し乱れていた娘の髪を優しく撫でつける。
「おてつだいするね」
「それじゃあ、マーサさんに聞いてちょうだい」
「はぁい」
母親を手伝おうとミリアが台所に向かうと、そこにはエプロンを付けたマーサが鋭い目つきで鍋の中身をかき混ぜていた。
(おばあちゃん、ちょっとこわい)
スフィアナは娘に甘いので滅多に叱ることはないが、躾に厳しいマーサにミリアはしょっちゅう注意されている。同じ屋敷で暮らしているが、この老婆が笑ったところを一度も見たことがない。
「おっ、おはようございます。おばあちゃん」
「……おはよう、この食器を運びなさい。落とさないよう気を付けるのですよ」
「はいぃ」
老婆の視線に緊張しながらも、ミリアは小さな体をせっせと動かして手伝いをする。
それから暫くして食堂にやってきてシーズが食事を済ませた後、ようやくミリアたちも台所のテーブルで食事を始める。そこに朝の庭仕事を済ませて来たドイル老もやって来た。
「おじいちゃん、おはよぉ」
「ああ、おはようミリア、今日も元気だね」
少女の無邪気な笑顔で老人の深いしわの刻まれた目尻が優しげに下がる。こうして四人で食事をするのが毎朝の習慣となっていた。
(みんなでゴハン、おいしいっ)
シーズが食べるものに比べたら質素な食事であったが、生まれてからずっと母親と二人きりで過ごしてきたミリアにとっては、こうして大勢で食卓を囲むのはとても嬉しいことだったし、それだけで美味しく感じられた。
*
ミリアの一日はそれなりに忙しい。食事を終えたら今度は屋敷の掃除をする時間だ。
「おばあちゃん、おわりましたぁ」
「拭き残しがあります。やり直し」
「ぴぃっ」
不手際があればマーサの低く静かな注意が飛んでくるから気が抜けない。
過保護なスフィアナは、そんな娘の様子をハラハラしながら見守るのであった。
そして掃除が終わった後は勉強の時間。マーサの教えを受けてはいるが計算はちょっと苦手なミリア、引き算は難しい。
「いち、にぃ、さん、しぃ……」
「指を使わない」
「ぴぃぃっ」
老婆の指導は厳しく、目つきも鋭くて怖い。しかし、以前の屋敷で妾の娘として女中から向けられていた冷たい目とは違う、厳しさの中に隠された恩情をミリアは幼いながらに感じ取っていた。
(おばあちゃんはコワイけどやさしい……)
*
勉強が終わったらお待ちかねの自由時間だ。
「おじいちゃん、お花にお水あげてもいーい?」
「ああ、いいとも」
ミリアを相手にするドイル老はまるで孫を前にした好好爺のようで、庭仕事でがっしりとした手が優しげに頭を撫でる。
(おじいちゃんのおてて、おっきくてカチカチ)
自由といっても一人で屋敷の外に出ることはできないが、庭で駆け回るミリアの様子は楽しそうだ。
「あっ、だんな様ぁ」
そしてシーズは仕事の合間にミリアの遊び相手になってくれる。彼もミリアのことが妹のように可愛いのだろう。
最初は人見知りしていたミリアだが、先日一緒に町を回ったとき、シーズとすっかりち打ち解けていた。手を繋いで一緒に歩いていると、とても安心する。
(だんな様のおてて、あったかい)
ミリアが物心ついた頃には彼女の父親はまともではなくなっていたし、害をなす者はスフィアナがを寄せ付けなかった。
だから、この屋敷に住む者はミリアにとって母親以外で初めて出来た近しい人々だった。それはまるで家族のような──。
*
その日の晩、いつもならぐっすり眠って朝まで目が覚めないミリアが珍しく夜中に目を覚ますと、隣のベッドで眠っているはずの母親が居ないことに気づいた。
(おかあさん、いない……)
半分寝ぼけながら母親を探しに部屋から出たミリアは、無意識にシーズの部屋の前にたどり着くと、中から物音と母親の声が聞こえた気がして、そっとドアを開けた。
「んっ、ぁぁッ! 旦那様ぁっ……あんっ、んんぅっ!」
「アルテラッ! もう出そうだ! 膣内に出すぞ!」
「ひぅっ! あぁっ、出して……くださいっ、私の膣内に、旦那様ぁ……ッ!」
部屋の中は薄暗くて良く見えないが、裸になった二人がベッドの上でギッコンバッコンしていた。
大変だ、二人が喧嘩をしているぞ!
「けんかしちゃだめ〜!」
「「うおっ!?」」
突然の闖入によりギッコンバッコンは中断、スフィアナは旦那様に謝って寝ぼけた娘を連れて帰るのであった。
*
部屋に戻ってベッドに寝かしつけられたミリアが離れようとする母親の手を握った。
「んにゅ……おかあさん、いっしょにねてもいーい?」
「いいわよ、一緒に寝ましょ?」
いつもなら夢の中にいる時間だ、ベッドの中に入った母親に抱きつくミリアは目がとろんとして今にも眠ってしまいそうだった。
「おかぁさん……だんなさまとケンカしてなぃ?」
「だっ、大丈夫よミリア、お母さん、旦那様と喧嘩なんてしてないからっ」
良かった、どうやらアレは何かの見間違いだったようだ。
母親の胸に抱かれ安心しきるミリアは幸せだった。
おかあさんがいて、だんな様がいて、おばあちゃんとおじいちゃんがいて、この先もずっと続いていく。
そんな幸せな日々を想像しながら、やがてミリアは深い眠りへと落ちるのだった───────それ──────夢─────ずに。