シーズが幼馴染みの少女と同衾している現場を目撃してからというもの、スフィアナの誘惑は以前に増して露骨になった。
もちろん彼女が二人の仲に嫉妬するような乙女心を持ち合わせているはずもなく、その行為は狙った獲物を逃すまいとする警戒心の表れだ。
スフィアナにとってシーズは生命線とも言える存在。いささか頼りないところもあるが、彼の助力なくして彼女たちはこの国で生きていけないのだ。
せっかく女を知らないお坊ちゃんを色香で誑かすことに成功したスフィアナからすれば、ここで突然の幼なじみ登場はまさに寝耳に水。そんな設定は聞いてないぞ! と、物申してやりたいところだった。
まあ、これまで異性と意識せず交友していた二人の関係が急速に変わってしまったことに関しては、シーズに女を教えてしまったスフィアナにも原因があるのだが──。
ともあれ、これは早急に対処すべき案件である。
シーズが他の女と寝ようが知ったことではないが、もしも二人が結婚などするようなことになれば愛人の立場を追われてしまう可能性は無視できない──と彼女は考えているが、それは杞憂でしかないのだ。
領主としてはまだ頼りなく少々スケベなところが目立つが、彼は善良な領主の素質である公正な心の持ち主だ。シーズがスフィアナやミリアを追い出すような真似はしない人間だということぐらい、一緒に過ごせば理解できるはずなのに、彼女にはそれがわからないのである。
スフィアナだってシーズの誠実さは多少なりとも認めている。得体の知れない獣人母娘が町で暮らせるよう手ずから奔走していたのだ。ただのスケベ根性だけでは出来ないことだし、それには感謝している。
けれど、病的な人間不信を患っているスフィアナにはシーズを信じきることができず、男の本性などわかったものかと疑ってしまう。
絶望の中で生きてきたスフィアナに刻まれた傷は深い。
結婚するほど愛していたはずの妻を裏切り娘を犯す父親の醜い性が、嫉妬に狂って娘を締め殺そうとする母親の醜い嫉妬が。いまだ消えずに残っている。
果たして、シーズの想いが彼女の壊れた心を癒すときが来るのだろうか?
われわれはただ、哀れな女スフィアナを見守るしかないのである。
*
(そうよ、どんな邪魔が入ったところで、坊やを寝取ってしまえば済むことだわ)
肉食系悪女スフィアナの朝は早い。
朝日とともに起床して、隣で気持ちよさそうに眠るミリアのおでこにキスをすると、すぐに屋敷の仕事に取り掛かる。
有能な彼女はマーサから教えられた仕事を完璧にこなしながらも、移り気な領主様のことを考えていた。
あれから二人の様子を観察していたが、シーズとマリーレイアは肉体関係こそ持ったものの、今までと変わらず仲の良い友人といった様子だ。
これにはスフィアナも首をかしげてしまう。
(おかしいのよね……普通の男女は性行為をしたら恋仲になるものじゃないのかしら?)
何人もの男とヤリまくってきたスフィアナさん。チンコの取り扱いはお手のものだが、こと恋愛に関しては初恋もしたことがない耳年増な小娘同然であった。
シーズの心を掌握する方法? そんなの、とりあえずチンコを握れば男はなんとかなる! それがスフィアナ流の極意である。
*
そして、うららかな日差しの午後。
(とりあえず回数を増やせばいいのよ、残さず搾りとっておけば他の女には出せないものね)
などと恐ろしいことを考えながら屋敷の掃除に勤しむスフィアナ。彼女が頭の中でシーズの喜びそうなプレイの予行演習をしていたときだった。
「おかあさぁん、みて~」
最愛の娘が両手を上げて嬉しそうに駆け寄ってきた。見ればその手には可愛らしい女の子を模した人形が抱かれている。
「ミリア、どうしたのそれ?」
「だんな様がねぇ、おみやげ~って」
無邪気にはしゃぐ娘の姿は微笑ましいが、どうにも要領を得ない。
スフィアナが疑問に思っていると、後からシーズもやってきた。
「やっ、やあ、アルテラ」
少し気まずそうな顔をしている。マリーレイアとの一件を見られて以来、シーズも彼女との関係に苦心していた。
幼なじみとの仲を誤解されたのではないだろうかと、いや、全部が誤解というわけでもなく、マリーのことが好きか嫌いかといえばもちろん好きだし、確かにあの夜はふだん見せない女の子らしい可愛さにドキッとしてしまった。
しかし、それでアルテラに対する気持ちが冷めるなんてことはなく、今でも彼女に夢中なのだが────どうも自分の気持ちがこの獣耳美女にはうまく伝わってないのではなかろうか──?
と、最近気付きはじめた領主様である。
「この人形は旦那様が?」
「ああ、前にほら、マリーの家がある街に行ったときお土産に買ったんだけど、バタバタしてたせいで渡しそびれたままだった」
「お気を使っていただきありがとうございます。ミリアがとても喜んでおりますわ」
「そっ、それでだね……キミにも買ってきたものがあってさ……」
そう言って、シーズは後ろでに持っていた蓋に花柄の彫刻が刻まれた小さな木箱をスフィアナに手渡した。
「中を見ても?」
「ああ、うん」
スフィアナが蓋を開けると、中には赤く輝く小さな石のついたネックレスが鎮座していた。
「アルテラに似合うと思って選んだんだけど……どっ、どうかな?」
幼馴染み以外で女性に贈り物をするなどしたことがなく、そのマリーレイアは普通の女子から大きく外れた特殊な感性の持ち主なため、こうして一般の女性が喜びそうなものをプレゼントするのはシーズにとって初めての冒険であった。
わからないなりに露天に並ぶアクセサリと睨めっこして選んだ品が、果たして意中の女性に喜んでもらえるのか、気が気ではないのだろう。
対してスフィアナは箱から取り出したネックレスをしげしげと眺めてから、もういちどシーズの顔を見る。
緊張した顔は何を考えているのか実にわかりやすい。目の前の女性が自分の贈り物を喜んでくれるか気が気ではないのだろう。
そんなシーズの様子を見て、スフィアナはこう思った。
(すごくソワソワして……セックスしたいのかしら?)
ちがうぞスフィアナ! そうじゃない!!
彼女の中で男が女に贈りもをするというのはつまり、コレをやるからセックスさせてくれよという意味だった。
なのでスフィアナはこそりとシーズの耳元に口を寄せて囁いた。
「旦那様、ここはミリアがいますので、性交でしたらお部屋で……」
「なぜに!?」
多くの過程を端折った言葉にシーズがぎょっとする。
(あらっ、違ったかしら?)
以前の屋敷でも主人から数えきれない程の煌びやかな装飾品の数々を貢がれた。
男は女に物を贈って好意の見返りを求める。それはスフィアナにだってわかっている。そういうときは決まってスケベなことをさせてやれば大そう喜ばれたものだ。
しかし、今のシーズの顔はどちらかと言えばガッカリである。
(なによ、その顔は……)
わからない。気を利かせたつもりだったが、普通に喜んで見せればよかったのだろうか?
そもそも、これはなんだ? マリーレイアと寝たことを気にしてご機嫌取りのつもりなのか?
わからない。なぜそんなことをするのだろうか。
自分は屋敷のメイドにすぎず、追い出されたら行くあてもない。どう扱われようが結局はシーズに従うしかないのだ。
それだというのに、なぜ彼は自分に大してこんなにオロオロとしているのだろう。
その困った顔はなんなのだ。
わからない。
なんだか、彼の顔を見ていると無性に腹が立ってきた。
(なんなのよ……)
わからない。
わからないから、とりあえず喜んだフリをしておいた。それが正しかったようで、シーズもホッと安堵した。
*
その日の夜はシーズの寝室に行かなかった。なんとなく。
自室の化粧台の前に座り鏡に映る自分を見る。胸にはシーズに貰ったネックレスが慎ましやかに輝いている。
「おかあさん、だんな様にもらったキラキラ、きれいね〜」
後ろで見ていたミリアがほぅっと呟く。
以前の屋敷では主人から高価な品々を贈られ目が肥えたスフィアナにはわかる。
このネックレスには大して価値がない。
けれど、その小さな輝きをみていると、今日のシーズの顔が思い出されて、なんだかわからないけどものすごくイヤな感じがした。
不可解なキモチワルさを感じたスフィアナは、ネックレスを外して化粧台の引き出しにしまうのだった。