さて、スフィアナとシーズとマリーレイア、愛欲、性欲、思惑で形成された三角関係が屋敷で繰り広げられるようになってしばらく。
胸のざわめきに戸惑いながらも快楽をもってシーズを繋ぎ止めていたスフィアナだったが、これだけ何度も体を重ねているとうのに、いまだシーズを思い通りに操れないことが府に落ちなかった。
これまで相手をしてきた男たちであれば、快楽に溺れて自分の言いなりになる頃合いだというのに、どうもシーズには毒の効果が薄いように感じる。
誘惑すれば簡単に欲情させることができるけど、それはたんにあの坊やがスケベなだけという気もするし、鼻のいいスフィアナはシーズの体に付着しているマリーレイアの残り香にも気付いていた。
少女らしい爽やかな花の香りが鼻につく。どうやら幼馴染みともよろしくやってるようじゃないか。
(坊やのくせに生意気だわ)
当初の予定から外れつつある現状に歯痒さを感じていたスフィアナは、あるとき屋敷に訪れた商人の男を利用することにした。
その男ときたら、スフィアナがちょっと愛想よくしてやるだけでもはや彼女にくびったけ。熱い視線を向けてくるではないか。
(そうよ、ふつうはこうなるんだから)
男に好かれたところで微塵も嬉しくないが、自分の魅力をシーズに再認識させるには好都合である。
翌日になると予想通り商人から貢物が届いた。表向きは領主様への献上品だが、その中には明らかにスフィアナ宛だとわかる美しいブローチが混ざっていた。
男の財力を誇示するかのように大きな宝石のあしらわれブローチは、それだけひと財産になるだろう。
「まぁ旦那様、とても綺麗な宝石ですね?」
無邪気に関心しているフリをしているが、「どう? 私はこんな大きな宝石を贈られる女なのよ? そこんとこちゃんとわかってるの?」というアピールである。
これはいやらし!
「あっ、ああ……そうだね……」
性根の曲がった女の意地悪にシーズは気づいてないようだが、こうなると嫌でも自分の送った品と比べてしまう。
こんな宝石を見せられたら、あんなネックレスなど玩具みたいなものだ。
甲斐性の差を見せつけられ気落ちするシーズはなんとも哀れで、スフィアナもちょっと気の毒な気持ちになってしまう。
べつに高価なプレゼントが欲しいわけじゃないのに、これじゃあまるで自分が悪者みたいだ。いや、悪者なのだけれど。
(なによ……しょうがないじゃない……)
こんなことしかできないスフィアナはやはり哀れである。
*
そして哀れな女はさらに追い討ちをかけるように、シーズが見ているのに気づきながら、わざと商人に気を持たせるような態度をとって見せた。
効果はてきめんだった。
嫉妬したシーズは今まで見せたことのない厳しい顔つきでスフィアナをベッドの上に押し倒すと乱暴に犯した。
いつもの優しさは影を潜め、今まで彼女を抱いてきた男たちと同じように。
そうだ。そうやって私にに執着すればいいのだ。
これを望んでいたはずなのに、スフィアナの心には虚しさが募るだけだった。
*
果たして彼女の願いが通じたのか、ある日を境にシーズの様子がおかしくなった。
まるで盛りのついた獣のようにスフィアナを犯すようになった。
それは彼女の毒におかされた男の反応と全く同じで、ようやく彼にも毒が効いたのだとわかった。
きっとシーズはこのままおかしくなってしまうのだろう。
でもしょうがない。自分たちが生きていくには、ミリアの幸せのためにはこうするしかないのだ。
ミリアはシーズになついているようだったが、こうなるともう近寄らせないほうがいいだろう。寂しがるかもしれないが仕方がない。
この屋敷に長らく仕えてシーズと共に家族同然に暮らしてきたマーサやドイルも、豹変するシーズの姿を悲しむだろうけど仕方がない。
マリーレイアも好きな男がおかしくなってしまうのを見るのは辛いだろう、かわいそうに。彼女はミリアとも仲良くしてくれているし、べつに嫌いじゃなかった。けど仕方がない。
全て仕方がないことなのだ。
*
最悪な出来事が起こった。
シーズが正気に戻ってしまった。それどころか、性交すら拒むようになった。
なんで? いちどああなったら元には戻らないはずなのに。
「旦那様……どうして?」
スフィアナにとって、交わりを拒まれることは彼女自身を否定されるのに等しいことだった。
「私のことがお嫌いになりましたの……?」
「まさか、そんなことあるわけないじゃないか」
「でしたら……」
「けど、今は一緒には寝れないんだ」
ダメ、ダメだ、それじゃあダメなのだ。それではミリアが幸せになれない。
「思ったんだ、俺がこうなったのも、ちゃんとキミに向き合ってこなかったツケが回ってきたんじゃないかってさ」
シーズが何を言ってるのかわからなかった。
だからもういちどおかしくしてやろうとする彼女の瞳が暗紫色に妖しく光る。
けれど、シーズの手が迫ろうとするスフィアナの体を押し戻した。
「そんなっ、どうして……」
「アルテラ、また明日ちゃんと話をしよう、そうしないといけないと思うんだ」
シーズが真剣な顔で何か言っている。音だけが耳に入ってくるけれどまるで理解できない。
彼の気持ちはなにも伝わらなかった。
スフィアナは失意のままに去るしかなく、部屋に戻るとミリアが心配そうに擦り寄ってくる。
「おかあさん、どうしたの? どこかいたいの?」
「大丈夫よ、ミリア、お母さん、どこも痛くないから……」
そうだ。こんなことでめげてはいられない。ミリアのためにもシーズをどうにかしなければ。
今の自分は娘のために生きているのだ。そのためならなんだってすると心に決めたじゃないか。
娘が幸せに生きていくにはどうすればいい? なにを排除すればいい?
マリーレイアが邪魔なのか? それともシーズがダメなのか? それともマーサか、邪魔をするものはいったいなんだ?
スフィアナは考えた。考えて、考えて、そしてようやく気づいた。
ミリアの幸せを邪魔しようとしている存在、それは──。
*
その日は朝から陽光一筋見えないどんよりとした曇り空だった。雨が降ってくる前に外の用事を済ませようとしたスフィアナだったが、屋敷に戻る途中に堰を切ったように降り出した大雨を避け軒先で雨宿りをしていた。
ボタボタと落ちてくる大きな雨粒、空を覆い隠す灰色の厚い雲。
空を見上げるスフィアナの瞳も灰色に染まる。
どれだけ待っても雨は衰えるどころか激しさを増し、やがて獣が唸るような雷の音が遠くに聞こえ始めた。
スフィアナは諦めて走って屋敷に戻ることにした。
軒先から出たとたん、降り注ぐ雨によってすぐさま髪と服がびしょ濡れになる。
濡れた衣服が重く体にへばりつき、靴の中まで水が染みてくる。
屋敷にたどり着いた頃には全身ずぶ濡れとなり、服の裾から水が滴っていた。
厨房に続く裏口から入ると、ちょうどマーサと出くわした。
「遅くなってすみませんマーサさん。ちょうど雨に降られてしまって……」
「かまいません、早く着替えてきなさい」
「はい……」
「それと、今は応接間に来客がいます。あなたと同じ獣人の──」
マーサの言葉に心臓が握りしめられたような感覚に陥り、息苦しさに喉が震える。
「そっ、それは……どのような方でしたか?」
「黒い耳をした、目つきの鋭い女性でしたね」
それを聞いた瞬間に確信した。アリューシャだ。彼女がここまで追いかけてきたのだ。
逃げないと、今すぐ、早く、ミリアを連れて──!
「あのっ、ミリアは今どこに……!?」
「ミリアでしたら、ちょうど替えのお茶を持っていくよう言いつけたところですが……」
彼女の様子がおかしいことに気づいたマーサが問いかけるより早くスフィアナは弾かれたように駆け出していた。
ミリアがアリューシャと鉢合わせる前に止めなくては!
しかしスフィアナが遠目に見つけたのは、今まさに応接間へ入ろうとする娘の後ろ姿だった。
声をかける間もなくミリアの姿は中へと消えてしまう。
そしてスフィアナも娘の後を追い、終わりの舞台に上がるのだった。