「────そして、私はスフィアナを追いかけ、この国にたどり着いた」
事の顛末を語り終え、静かに息をつくアリューシャ。
彼女から聞かされたアルテラの過去を呑み込むことができず、シーズは口の中に蔓延する苦味を堪えるように顔をしかめ、押し黙ることしかできなかった。
アルテラの語った過去が真実全てではないことに薄々気づいてはいた。しかし、聞かされたアルテラの危険性はシーズの想像をはるかに上回る。
(どうして、こんな……)
自分はただ、不幸な境遇の獣人母娘を助けただけなのに────。
肩にのしかかる重みに体が下を向く。うつむき、膝の上で握り合わせた両手を小刻みに揺すりながら、シーずは自問する。自分は間違っていたのだろうか、と。
「男を操る力……ね、にわかには信じがたい話だ。まあ、彼女に男を誑かす色香があるのは認めるけどな」
困惑するシーズとは対照的に、どっしりと背もたれに寄りかかりながら、マリーレイアは冷静に話の内容を精査していた。
学術に重きを置くマリーレイアであれば、根拠のない与太話だと一笑に付すような話だが、彼女にも思い当たる節があるのだろうか、なにか思案するように下唇を指でさする彼女に、アリューシャが目を向ける。
「言ったはずだ、法的に立証するのは難しいと。しかし、あの女に関わって命を落とした者がいることは事実だ。それも、偶然で済ませるには多すぎる数のな」
犯人がすぐ側にいたというのに、気付かず取り逃してきたことを悔やんでいるのだろう。アリューシャの忌々しげな訴えを聞きながら、マリーレイアは隣に視線を移す。
「だとさ、シーズ。どうする?」
「えっ……」
項垂れていたシーズが頭を上げる。言葉の意図が理解できなかったのか、戸惑いの眼差しをマリーレイアに向けている。
「アルテラ……いや、スフィアナか。彼女の処遇だよ」
「いや、でも……まだアルテラがそうだと決まったわけじゃないし……」
「それなら、それでいいさ。けど、もしも本人だったら、どうするんだ?」
「どうって……そんな……」
もしもアルテラをアリューシャに引き渡したら──。
悲惨な結末が脳裏に浮かび、シーズはたまらず頭を振る。
「だめだ……アルテラを渡すことはできない……」
うつむきながら呟かれた言葉は弱々しく、そこにはアルテラを守ろうとする気概は感じられなかった。
「おまえは何故、その女を庇おうとする?」
認めがたい現実から目を逸らそうとするシーズの迷いを見ぬいたアリューシャが静かに問いかける。
「それは……約束したんだ……彼女を、助けるって……」
そう口にしながらも、自分の言葉に自信が持てない。
なぜ──? どうして自分はアルテラを助けようとしたんだ──?
「それは、本当に自分の意思だったと断言できるか?」
「えっ……」
「お前は……その女に操られていたんじゃないのか?」
────そんなことはない!
しかし、言葉は喉につかえ、掠れた呻き声が漏れただけであった。
「その女が側に居たとき、なにか違和感を感じることはなかった? 理由もなく女の言葉に従ってしまうようなことが」
「………………」
思い当たる節はあった。彼女の瞳に見つめられたとき、頭の中がぼんやりとして、気がつけば獣のように体を求めていることが──。
「もういちど尋ねる。それは本当におまえの意思なのか?」
獣人の母娘を助けると決めたとき、マーサに問われた言葉が蘇る。
それは領主として正しい行いのかと──。
下心がなかったと言えば嘘になる。それでも、あのときは自分の中で彼女を助けることが正しいと判断したはずなのに。アルテラとの日々を思い返すほどに自信が無くなってくる。
「その女の側にいれば、お前も私が見てきた連中と同じ末路を辿ることになる。待っているのは破滅だ」
アリューシャの口調からはシーズを騙そうとしたり、脅すような意図は感じられない。淡々としながらも、自分の身を案じてくれているのがわかってしまう。
シーズの心が傾きかけた、そのときだった────。
小さなノック音が部屋に響くと、「だんな様ぁ」という人懐っこい呼び声がドアの向こうから聞こえてきた。
返事をする余裕もなく、うなだれたままのシーズに代わりマリーレアが立ち上がる。彼女がゆっくりとドアを開くと、外で待っていたミリアを招き入れる。
「ありがと〜、マリーおねーちゃん」
何も知らずに、両手にトレイを持ってトコトコと危険な部屋へと踏み入るミリア。お茶を運ぶのに一所懸命なせいで、奥に座っているアリューシャの存在に気付いていない。
そして、テーブルの上にトレイを置き、ふぅっと一息ついたところで、目の前に自分のことを睨め付けるアリューシャの存在に気づいたミリアは「ひゃぁっ!」と小さく悲鳴をあげて体をすくませる。
どうやらミリアはアリューシャの顔を知らないようだ。彼女がなぜ自分を睨んでいるのかわからず、犬を前にした子猫のように怯えた瞳で見上げている。
「少し成長しているが……あぁ、間違いない、あの女の娘だ」
「おねえさん、だれぇ……?」
「おいっ、ミリアちゃんを怖がらせるな」
今にも掴みかかりそうなアリューシャから守るように、マリーレイアがミリアの体を後ろから抱き抱えて睨み返すと、アリューシャはつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「娘をどうこうするつもりはない。私の目的は母親の方だけだ」
ミリアを抱いたまま後ろに下がったマリーレイアがシーズに目配せをする。
「で、どうするんだ? 悪い方の予想が当たったみたいだぞ」
「どうもこうもない。やつを捕らえて本国に連行する。それで全て解決するんだ」
「この子は私たちで保護するからな」
「すきにしろ」
勝手に話を進めようとする二人の会話は聞こえているのに、耳の中に響く声はノイズのように散漫で、シーズの頭には入ってこなかった。
「ふぇ……お母さん、どうかしたの? ねぇ、だんな様ぁ……?」
不穏な空気を察したミリアが不安げに尋ねるも、両腕で頭を覆ったシーズがそれに答えることはなかった。
今のシーズには、もう何が正しいのか分からない。目を伏せ、耳を閉じ、この嵐が去ってくれることを願うばかりだ。
「ミリア……!」
しかし、それぞれの思惑が交差するなか、娘の身を案じたスフィアナが部屋に駆けつけたことで、ついに役者が揃ってしまった。
今さら舞台を降りることは許されない。彼には最後までその場に立つ義務があるのだ。