”天与の儀”
それは人族の社会ではごく一般的な風習。
十歳を迎えた子供が教会で洗礼を受けることで、神様からスキルをひとつ授かることができる。
その日、村の教会では、少年アドニスが他の数人の子供たちと共に、天与の儀に臨んでいた。
儀式などと大仰な呼び方をしているが、やることは至って簡単で、祭壇で神父が聖言を唱える間、子供はひざまづいて祈りを捧げるだけである。
するとあら不思議。体のどこかに神の刻印が浮かび上がり、スキルを授かっているという流れだ。
たいていは手の甲だったりと、わかりやすい場所に紋様が発現し、スキル名が神託により神父から告げられる。
「ふむ、おまえのスキルは【駆け足】だな」
「なぁんだ、【駆け足】かぁ」
神父の言葉に、少年は少し不服そうに、けれど、自分の手に浮かんだ紋様を誇らしげに見つめた。
周りで見守っていた大人たちも「おめでとう!」と拍手をする。
ちなみに、与えられたスキルがその者の人生に大きな影響を与えるかといえば、実はそんなことはない。
なぜなら、スキルというのは、それほど役に立つ力ではないからだ。
例えば、先ほど少年が授かった【駆け足】は、ありふれたコモンスキルであり、その効果は、使用すると短い時間、ほんの少しだけ早く走れるようになる。
他にも【力持ち】というスキルを持つ者も多くいるが、使ったところで、素手で岩が砕けるようになるわけでもなく、せいぜい重たい水桶を持ち上げるのに役立つといった程度。
スキルは使用者の身体能力にも大きく影響されるので、ヒョロヒョロの男が【力持ち】を使ったところで、力自慢の男に腕相撲で勝つことではできないし、人が【駆け足】を使ったところで、犬より早く走ることもできない。
そのうえ、スキルを使用できるのは日に数回がいいところで、使いすぎると効果は低下し、逆に体力が尽きてへばってしまう。
だから、スキルを授かった子供は最初こそ「うぉぉぉ!これがスキルの力だぁぁ!」と、はしゃいで使うけれど、早く走ったり、重たいものを持ち上げたいのなら、スキルなどに頼らず鍛錬で筋力を鍛えた方がよっぽど効率的だということに気づいて、あまり使わなくなる。
あればちょっと便利だけど、なくてもべつに困らない。神様からの、ささやかなギフト。それが【スキル】なのだ。
とはいえ、数百人にひとりは、【剛腕】【俊足】などの、レアスキルを授かる者もいる。
ちなみに【剛腕】であれば、重たい水桶をふたつ同時に軽々持ち上げることができる程度には強力である。
村の子供たちは、「すごいスキルを授かったら、冒険者になってモンスターを倒すんだ!」なんて意気込んではいるが、世の中そう簡単にはいかない。
稀なスキルを授かる確率もそうだが、多少強くなったところで所詮はスキルだ。
レアスキルを授かった新米冒険者が凶暴なモンスターどころか、野盗にあっけなく殺されてしまうこともある。
冒険者として生き抜くのに必要なのは、神様からのギフトではなく、絶え間ない研鑽によって磨かれた技術と、経験に裏付けられた実力なのだ。
ゆえに、子供たちは下手にいいスキルを授かって無謀な夢を追いかけるより、コモンスキルを授かって、地に足をつけて生きる方が幸せなのだ。きっと彼らも大人になればそれが理解できるだろう。
そんな実情もあり、「もしかしたら、この村から凄いスキル持ちの英雄が生まれるんじゃね!?」みたいな期待は誰もしていない。
天与の儀とは、あくまで、子供の成長の節目を祝う年中行事でしかないのだ。
そして、前の子供たちが当たり障りのないスキルを授かっていき、いよいよアドニスの番が回ってきた。
「さあ、アドニス、次はおまえだ。ここに来て神に祈りを捧げなさい」
「はいっ」
神父に呼ばれた少年は、一段高くなった壇上に上がると、中央で跪き、両手を握り合わせ、目を閉じて神に祈りを捧げる。
(神様、お願いします。お父さんの役に立てるスキルを、俺にお与えください)
拾われっ子のアドニスは、まだ赤ん坊だった自分を男で一つで育ててくれた牧場主の養父のために、早く一人前になって恩返しをしたいと常々思っていた。
すると、願いに応えるように、アドニスは右手がほのかに温かくなるのを感じた。
目を開くと、アドニスの右手の甲には刻印が浮かび上がっていた。スキルが与えられた証である。
「やった! 神父様、俺もスキルがもらえました!」
目を輝かせて喜ぶアドニスに、神父も頷いてみせる。
「うむ、アドニス、おまえのスキル名は…………んンッ!?」
どうしたことか。神託を聞いた神父は朗らかだった表情をギョッとさせると、「マジかぁ……」と呟いて押し黙ってしまったではないか。
「あのっ、神父様、俺のスキルはいったい……」
「ああ、ぅむ、すまん。わたしも初めて聞くスキルだったのでな、少々驚いてしまった」
もったいぶった神父の言葉に、まさか、とてつもない伝説のスキルを授かったのではと期待が膨らむ。
「うぉっほん、アドニスや、お前が授かったスキルの名前は……」
「はっ、はい!」
「スキル【搾乳】だ」
「……はい? さくにゅう?」
「うっ、うむ」
「それって、牛のお乳を搾ったりする、あの搾乳ですか?」
「そっ、その通りだ。つまり、おまえのスキルは牛の、おっ、おちっ、お乳を……ぷっ、ぷふっ、ぷフフゥッ!」
途中までは必死に厳かな口調を維持していた神父だったが、「お乳」でついに堪えきれなくなり、盛大に吹き出してしまう。
つられて周りで見守っていた人々も、いっせいに吹き出した。
──うぷぷぅっ、おいっ、なんだよ【搾乳】って、そんなの聞いたことないぞ。
──ちょっと、笑ったら可哀想じゃない! 【搾乳】だって神様が授けてくれた、さくっ、にゅぅぅッ、ぷーっ! クスクスクスッ!
本来なら、どんなスキルを授かろうとも祝福されるべきだし、笑っている者たちにも悪気はなかった。しかし、まさかの【搾乳】である。これには失笑を禁じ得ない!
【搾乳】がツボにハマってしまった村人たち。いちど笑いだすともう止められなかった。笑いが笑いを呼び、爆笑の渦がアドニスを取り囲む。
「やっ……やっ……」
笑い者にされ、俯いて肩をプルプルと震わせるアドニス。
多感なお年頃の少年には酷すぎる仕打ち。笑っていた者たちも、少年の様子に気づいて、しまった、これは泣いてしまうのではと思ったが──。
「やったー!!!」
アドニスは両手をギュッと握り締めると、力一杯天に向かって突き上げて叫んだ。
彼の口から飛び出した叫び声には、怒りや悲しみは微塵も感じられなかった。
「ありがとうございます神様! これで俺も、お父さんに恩返しができます!」
アドニスの耳には周囲の笑い声など、最初からこれっぽっちも届いていなかったのだ。
【搾乳】を授けられたと教えられた瞬間から、彼が感じていたのは、このスキルなら養父の牧場を手伝うことができるという喜びだけ。
少年の純粋な心根を見せつけられた者たちは、神父も含めてバツが悪そうに咳払いをすると、パチパチと手を叩き始める。
「よっ、よく考えたら、【搾乳】ってすごく便利そうよね」
「たっ、たしかに、【搾乳】って響きがもう、ただものじゃない雰囲気を醸し出してる気がするよな」
「羨ましいわぁ、うちの子も【搾乳】を授かれば良かったのにねぇ」
「おめでとうアドニス! おめでとう【搾乳】!」
圧倒的な掌返しによって、さっきまで笑い者にされていたアドニスは、一転して周囲からの祝福に包まれた。
大勝利! これはアドニス大勝利!
「ありがとうみんな! 俺、このスキルでたくさん、お乳を搾るよ!」
「よく言ったアドニス! さあ皆さん、神の元でこの少年を祝福しましょう! うぉぉぉっ! アドニスうぉぉぉっ! 搾乳うォォオオォォッ!!!」
「「搾乳! 搾乳! 搾乳! 搾乳! 搾乳! 搾乳!」」
神父の音頭により、皆が手を叩き、声を張り上げ叫び、飛び跳ね踊り、半裸になって【搾乳】の少年を祝福する。
狂気の宴のごとき様相となった天与の儀は、こうして搾乳コールと共にフィナーレを迎えたのだった。