さて、アドニスが天界の女神様たちとワチャワチャしていたころ、街では多忙を極める商業ギルドで、キツネ耳の美人受付嬢フォーリが、完璧な営業スマイルを浮かべながら次々と客を捌いていた。
ギルド長からの信頼も厚く、現場の管理を一手に引き受け、しかし取り乱すことなく見事な手際で仕事を片付けていくその姿に、同僚たちからは常に尊敬と憧れの目で見られている。
実務能力だけではなく、その容姿やスタイルにも隙はない。職員随一の美貌は毎晩の入念なお手入れによってツルツルのお肌を保っており、立派なキツネ耳とフサフサ尻尾は香油によるブラッシングで艶やかな毛並みをしているし、制服ごしにも分かる豊かな胸とキュッとくびれた腰つきの素晴らしいプロポーションも、日々の食事制限と美容体操によって維持されていた。
いつも涼しげな顔で優雅に振る舞う彼女が、陰でそんな努力をしているなど、誰も想像していないだろう。
有り体に言って、彼女は完璧な女だった。
眉目秀麗、才色兼備。洗練された立ち居振る舞いと完璧な笑顔でギルドの受付に君臨する、まさに女帝。
しかし、そんな彼女でも、たったひとつだけ、思うようにいかない難題に頭を悩ませていた。
(はぁ…………彼氏ほしい……)
ギルドの受付でピンと背筋を伸ばした綺麗な座り姿勢で微笑みながら、フォーリは 頭の中で憂鬱そうに呟いた。
そう、彼女の唯一の弱点、それは異性関係である。こんなに出来る女だというのに、フォーリにはいまだかつて恋人というものができた試しがないのだ。
もちろん類稀な美貌をもつ彼女が受付に立っていれば、好意を抱いてアプローチをかけてくる客だって大勢いる。
「やあフォーリさん、どうでしょう、今夜はお時間おありかな? よければ一緒にディナーでも」
と、声をかけてきたのは、事業で成功を収めた、懐も体型もブクブクに肥えた髭ヅラの成金商人。
「申し訳ございません。アポの予約は向こう一年埋まっていますので」
どれだけ金持ちだろうと、自分と親子ほどに歳の離れた樽腹のおっさんは勘弁である。
「やあっフォーリさん、今日はボクと一緒に夜景を見ながらディナーでもいかがですか?」
と、声をかけてきたのは、親が富豪であることを鼻にかける、チャラついた格好をしたボンボン息子。
「ふふっ、冗談はよし子さんですわ」
いくら金を持っていようが、親の財産の上に胡座をかいて人生舐め腐っているようなナンパ野郎に興味はないのだ。
フォーリーの鉄壁のディフェンスによって男がフラれる光景を見た同僚たちは、「きっとフォーリ先輩って男に興味がないのよ、仕事が恋人みたいな? かっこいい~」などと言っているが、本人として誠に遺憾である。
(どうして私に声をかけてくるのって、こういう輩ばかりなんですか!?)
べつに金持ちがいいとか、超絶イケメンじゃなきゃダメだとか、えり好みするつもりもない。彼女の優雅な振る舞いを見て、「どこぞのご令嬢だから上流階級の男しか相手にしないんだわ」と勘違いする者も多いが、フォーリは一般家庭の生まれである。
高望みもせず、むしろ彼女の容姿からしたら謙虚すぎるぐらいなのに、ふつうの男にはフォーリが高嶺の花に見えてしまい、逆に声をかけてくるのはタイプじゃない中年オヤジやらボンボンばかりでウンザリしてしまう。
(はぁ……彼氏ほしい……)
そして今日も、フォーリは完璧な女であるがゆえに、男との出会いを遠ざけるのだった。
*
(ギルドには出会いがないんですよ。出会いさえあれば私だって……)
ある日のこと、休憩室でため息をつきながらお茶を飲んでいたフォーリの耳に、隣にいる後輩女子たちの会話が聞こえてきた。
「それでね、彼ったら我慢できなくなって、いきなり……」
「きゃ~っ! やだぁ~!」
なにやら猥談で盛り上がっているようだが、その黄色い悲鳴に神経が苛立つ!
ちょっと黙らせてやろうと、にこやかな笑みで圧をかける狐女先輩。
「あらあら、随分とたのしそうですね? 何のお話をしてるのかしら?」
「あっ……えっと、この子がこの前のパーティーで知り合った男の子と付き合うことになって」
「ちょっと~、やめてよ~」
それを聞いて、フォーリの眉間にビキッと青筋が浮かぶが、持ち前の自制心でなんとか怒りを押さえ込む。
「あらあら、そうなんですねー、うふふっ、楽しそうで羨ましいですねー、ふーん、そうなんですかー」
抑えていた青筋がビキビキと再浮上し、フォーリの心に潜む荒ぶる怪物が解き放たれそうになったそのときだった。
「そうだ! よかったらこんど、フォーリ先輩も一緒にパーティー行きませんか?」
「え?」
空気を読めない後輩からまさかの提案をされ、これにはフォーリも意表を突かれてキョトンとする。
(なんですか? わたしがそんな、いかにも恋愛のことしか考えてないような低脳な男女が集うパーティーに行くとでも? まったく、わたしも随分と安く見られたものですね。でも、まあ? 後輩のお願いを聞いてあげるのも先輩の務めですし? そこまでお願いするなら、余興に付き合うのもやぶさかではないですけど?)
この間、わずか0.1秒の思考である。
「そっ、そうですねー、うーん、あまり賑やかな場所は苦手なんですけどー、でもー、せっかくのお誘いですしー……」
とはいえ、がっついてると思われるのは心外なので、ちょっと勿体つけながら、やぶさかを演出しつつフォーリが出会いのチャンスをゲットしようとしたそのとき、もう一人の後輩女子が横から口を挟む。
「もうバカね、フォーリ先輩がそんなチャラついたパーティーに行くわけないでしょ? 先輩はいつも煌びやかな社交界で上流階級の紳士とダンスをしてるのよ?」
(は!? なんですかそれ? どこ情報ですか? まるで記憶にないんですけど!?)
「それもそっか、えへへっ、ごめんなさい先輩、気にしないでください」
(ちょっとお!? なに勝手にごめんなさいしちゃってるんですかあ!?)
まずい! 返事をするタイミングを逃してしまった!
しかし、大丈夫だ、慌てるな。今ならまだ撤回できる。「ふふっ、そんなことないですよ。わたしも、あなたたちのパーティーにぜひ行ってみたいわ」と言えばいいのだ。
(そうよフォーリ、ここで臆したらダメよ)
言うのだフォーリ! 恥も外聞も忘れて、「私もみんなと一緒に男子とレッツぱーりーしたい!」と言うのだ!
「ふふっ、確かに、そうかもしれないですね」
はい見栄っ張っちゃった! フォーリ敗北! 敗北要因はくだらないプライドだ!
「それじゃあ先輩、お先で~す」
「で~す」
「えっ、ええ、おつかれさま……」
後輩が去ったあと、ひとりになった彼女はがっくりと項垂れるのだった。
*
「いらっしゃいませアドニスさん」
その翌日のこと、フォーリは敗北で傷ついたメンタルを感じさせない完璧な笑顔で、ギルドにやってきたアドニスを出迎えた。
最近は可愛い犬耳少女を連れているが、どうやら今日はひとりのようだ。
アドニスとはもう何度も取引をしているので、客とはいえ、それなりに気心の知れた仲である。
(ちょっと野暮ったいけど、真面目で、仕事にも誠実だし、いい人なんですよね。アリかナシかで言えば、割とアリだと思うんですけど……アドニスさんて、仕事ばかりでそういうことに疎そうですし、きっと女性とお付き合いしたこともないんでしょうね)
アドニスが今どのような生活を送っているか知らないフォーリは、勝手に自分と似た者同士だと思い込み、生暖かい視線を送る。
まさかこんな田舎者っぽい青年が牛乳娘や猫耳冒険者やロリババアエルフとパコリまくっているとは夢にも思うまい。
「はい、確かに受領しました。代金はこちらに」
「あの、フォーリさん」
「はい、なんですか?」
事務的なやりとりを終えた後、いつもならここであっさり別れるのだが、今日のアドニスからは、なにか秘めたる決心のようなものを感じた。
「よかったら、お仕事が終わった後に一緒に食事でもしませんか?」
「……は?」
まさかアドニスからそんなことを言われるとは思ってもいなかったフォーリは、珍しく素の顔で驚いてしまう。
(えっ、どういうことですか? これはつまり、アドニスさんが私のことを誘ってるということですよね?)
待ちに待った一般男性からのお誘いに、反射的に返事をしそうになったところで、ぐっと言葉を飲み込む。
(おっ、落ち着きましょう。ここで即OKをしたら、まるで私がアドニスさんに誘ってもらうのを待ってたみたいじゃないですか。それにこれは、普段お世話になっているビジネスパートナーとのコミュニケーションが目的かもしれませんし、ここは冷静に、まずは相手の真意を読み取りましょう)
フォーリは大きく深呼吸してから、ギリッと鋭い目つきでアドニスのことを見つめた。
「それは、お仕事関係で親睦を深めたいということですか? それとも、異性に対するアプローチをしたいとうことでしょうか?」
「あっ、えっと……それは……」
「どうなんですか? もしかして、アドニスさんは私に色目を使おうとしてるんですか?」
本人は自覚していなかったが、そのときのフォーリの目は相手を射殺さんばかりに血走り、背後から殺気にも似たプレッシャーを漂わせていた。
そんなおっかない形相で迫られたら、相手を怒らせてしまったのだと勘違いされても仕方がないわけで。
「あわっ、あわわわわっ」
アドニスは鬼気迫るフォーリに恐れ慄いた。
「さあ、答えてくださいよアドニスさん! 事としだいによっては、私にも考えがあるんですよ!(意訳:アドニスさんがどうしてもわたしとディナーに行きたいっていうなら、付き合ってあげてもいいですよ☆)」
「ひぃっ!? もももも申し訳ありませんでしたぁぁぁ! 出直してきますぅぅぅ!!!」
ヘタなことを言えば社会的に抹殺されると思ったのだろう。アドニスはそう言い残して一目散に走って行ってしまった。
「え!? ちょっ! なんで逃げるんですかアドニスさん! ねえ! ちょっと!!」
ひとり取り残されたフォーリは、愕然としながら遠くに消えるアドニスの背中を見送るのだった。
*
(なんですかあれ、逃げることないじゃないですか)
その後、獲物を取り逃したフォーリは、心のなかでブツブツと文句を言いながら、にこやかな笑顔で受付に立っていた。
(まあ、わたしも少々取り乱してしまったのは認めますけど……そうですね、次に誘ってきたら食事ぐらいはOKしてあげましょう。いえ、べつにわたしがアドニスさんを好きというわけではないですが、まあ彼がそんなにもわたしに好意を抱いていたというのなら、食事ぐらいしてあげるのも優しさですし? ええ、そこからお互いのことをもっと知ってですね、なんなら彼氏候補に入れてあげなくもないわけですよ)
ちなみに、そのリストはずっと空欄のままである。
(まあ、これでもわたし、自分の容姿にはそれなりに自信がありますし? アドニスさんの周りにわたし以上の女性がいるとも思えませんし、わたしから追わずとも、きっと彼からまたアプローチしてくるでしょう。ええ、そうですとも)
うんうんと、ひとり納得するフォーリ。しかしこの後、ある女とアドニスを奪い合うことになろうとは、このときの彼女は思ってもいなかったのである。
