アドニスが行方不明になってから一週間が経った。
神獣の神秘的なアレを使ってもアドニスと交信ができないシロは、天界に戻ってルナリスにアドニスがどこにいるか探して欲しいとお願いしたが、世界の全てを見渡せる女神の力をもってしてもアドニスを見つけることはできなかった。
女神の力でも見つからないなどありえない話である。仮にのたれ死んでいるなら遺体が発見されるはずなのに、痕跡すら見つからないのだ。こうなると捜索は絶望的だった。
けれど、アドニスと深い絆で繋がっているシロには、どこにいるかは分からないけれど、ほんの微かにだがアドニスの存在を感じられた。
「わう! アドニス様はきっと生きています! シロにはわかるんです!」
そうして、シロはミルフィーナと一緒に牧場を守りながらアドニスの帰りを待つのであった。
*
アドニスが行方不明になってから三年が経った。
フォーリがどこぞの金持と結婚するため街を離れることになったと伝えに来た。
「わぅ……フォーリさん、いっちゃうんですか? 」
「はぁんッ、わたしもシロちゃんと会えなくなるのは凄くさみしいわ!」
「フォーリさん、ご主人様のことは……」
「……まあ、別に、わたしはあの人に未練なんてありませんし? わたしぐらいになれば男なんていくらでも言い寄ってきますし? ええ、ですからミルフィーナさんもあんな人のことなんて早く忘れてしまった方がいいですよ。こんな美女たちを放って勝手にいなくなってしまう……あんな人のことなんて……」
そう言うフォーリは、まるで寂しさから逃げているように見えた。
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アドニスが行方不明になってから五年が経った。
消息不明のアドニスを探すために国を放浪していたルヴィアが、その道中で凶悪なモンスターから村を守るために戦い、そのとき受けた傷が原因で死んだという知らせがギルドづてに届いた。
自分を救ってくれた恩人であり愛する人──そんな彼といつかまた会えると信じていた猫耳冒険者の人生は、あっけなく終わってしまったようだ。
*
アドニスが行方不明になってから十年が経った。
搾乳が中断したことでルナリスの母乳詰まりは悪化し、女神の加護が行き届かなくなった世界からは徐々に愛が失われていった。
国は荒廃し、争いが増え、ヒャッハー共がのさばるようになった。
そんな世界でも一心に祈りを捧げていたカプリアは、しかし、ある日、教会に押し入ったヒャッハーにレイプされ殺されてしまった。
彼女は最後までアドニスの無事を女神に祈り続けていたが、その願いが届くことはなかった。
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アドニスが行方不明になってから六十年が経った。
子供の出生率は極端に低下し、もはや村には年寄りしか残っておらず、牧場からは牛がいなくなっていた。
「わぅ……ミルフィーナさん……」
老衰によって寝たきりになったミルフィーナのしわがれた手をシロが優しくにぎる。
「ねえシロちゃん、あの人はどこにいっちゃったのかしらね……まったく……こまった人なんだから……」
そう言い遺して、ミルフィーナはシロに看取られ天国へと旅立った。
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アドニスが行方不明になってから七十年が経った。
「この国はもう終わりじゃの、いや、この国だけではないか……」
エスティア魔道具店のロリババアエルフは終末を迎えようとする国から出ていくことにした。
「わぅ……」
「おぬしはエルフでもないのに、いつまでたっても見た目がかわらんのう。なあシロよ、お主はまだあの小僧の帰りを待ち続けるつもりか? わしと一緒に行かぬか?」
「わぅ……アドニス様はきっと生きています……だからシロは……」
しょんぼりと獣耳を垂れるシロの頭を撫でながら、エスティアは灰色に染まった空を見上げる。
「小僧の言っていた女神の使命というのも、あながち冗談ではなかったのかもしれんのう……それではなシロ、達者で暮らせ」
エスティアも去り、シロはついにひとりぼっちになってしまった。
*
アドニスが行方不明になってから百年が経った。
もはや村には誰も住んでおらず、完全な廃村と化していた。
人間界で知り合った者はみんな居なくなってしまった。
それでもシロは天界に戻らず、誰もいない村でアドニスの帰りを待ち続けた。
「わぅ……わぅ……アドニスさまぁ……」
ひとりぼっちで取り残されたシロは、寂しさをこらえきれずに涙をポロポロとこぼして主の名前を呼んだ。
それでもアドニスは帰ってこなかった。
*
アドニスが行方不明になってから百年とひと月が経った。
姉のクロによって天界に呼び戻されたシロは、母乳詰まりで重篤になったルナリスに、この一連の騒動、その黒幕が判明したことを告げられた。
「けれど、あまりにも気付くのが遅かった……残念ですが、もう何もかもが手遅れなのです……」
「わぅぅ……それでも、それでもアドニス様なら! アドニス様ならきっと!」
「そうですねシロ、アドニスを助け出すことができれば全てを変えることができるはず……ですからわたしは、これからあなたに重要な使命を与えねばなりません」
「わう?」
「あなたには、この世界とは別の次元に閉じ込められてしまったアドニスを探し出してほしいのです。ですがこれは、あなたにとって、とても過酷な旅となるでしょう、何年、何百年、何千年かかるかもしれません、それに────」
ルナリスは悲痛な面持ちで全てを告げた。
「どうですかシロ、この話を聞いて、それでもまだ、あなたは……」
それは、まだ小さなシロにはあまりにも過酷すぎる内容だった。しかし、それを聞いたシロの瞳は、怖気ずくどころか、希望に満ち溢れ輝いていたのである。
「わうん! シロにおまかせくださいルナリス様! シロがアドニス様をお救いしてみせます!」
一切の迷いもない返事に、ルナリスは静かに頷いた。そしてクロが妹の小さな体を抱きしめる。
「こんな大きな責任をあなたひとりに背負わせて、できることならお姉ちゃんが変わってあげたい……でも、アドニス様と深く結ばれたあなたにしか、この役目を果たすことはできないの……ごめんねシロ」
「わぅ! 大丈夫ですよお姉ちゃん! シロにまかせてください!」
「さあ、おいきなさい希望の神獣よ、あなたの導きの光で、この悲しい結末から世界を救うのです」
「わうんっ!」
世界を救う使命を託されたシロは、アドニスを探すため、ルナリスが最後の力を振り絞って開いた異次元へのゲートに飛び込んだ。
こうして、シロの長い長い旅が始まった。
