「それじゃあ帰るか、シロ」
「はい、アドニス様」
戦いが終わり、最後の搾乳でルナリスのお乳も完治した。これでアドニスの使命も無事完了である。
「あっ、あの、アドニス……」
地上に戻ろうとするアドニスに、グラリンザがおずおずと声をかける。きっと今までの仕打ちに後ろめたさを感じているのだろう。
そんなグラリンザに対して、アドニスはグッと親指を立てる。
「グラリンザ様のお乳、最高に素敵ですよ」
アドニスは白い歯を見せる爽やかな笑顔で女神にセクハラをかました。
「キュンッ♡ アドニス……しゅきぃ♡♡♡」
どうやらアルティメット搾乳の影響でグラリンザは少々脳をヤられてしまったようだ。
その一方で、ルナリスはシロと向き合う。
「シロ、あなたは──」
「わうっ、シロなら大丈夫ですルナリス様」
「……そうですか、ええ、ここまでよく頑張りましたねシロ、あなたは天界の誇りです」
明るく笑うシロを見て、ルナリスは納得したように頷き、転送の光がアドニスとシロの足元を淡く照らす
「あなたたちのおかげで世界は救われました。ふたりとも、本当にありがとう」
そしてルナリスの感謝の言葉と共に、アドニスとシロは眩い光に包まれ森の女神像の前へと転移したのだった。
「ふぅ、ようやく戻ってこれたな」
「わう、そうですね~」
見慣れた場所に帰ってきてアドニスがほっと安堵していると、隣にいたシロがへたりとその場に座り込む。
「おっ、おいシロ、大丈夫か!?」
「わぅ~、すみません、ちょっと疲れちゃったみたいです……」
ここまでの道のりを考えれば無理もないことだ。アドニスは休憩するためシロを抱き上げて近くの樹の木陰へ移動すると、大きな幹を背にして二人で寄り添って座った。
この葉の隙間から降り注ぐ柔らかな陽光、そよぐ風が優しく頬を撫で、木々のさわめきが耳に心地よい。
さっきまでの激闘が嘘のように、のどかだった。
「いい天気だなぁ」
「わぅ、お日様がぽかぽかして気持ちいいですねぇ……」
体を預けるようにアドニスの肩に頭を乗せるシロ。彼女の大きくてフワフワしたケモ耳が頬に当たってこそばゆさを感じながら、その温もりにアドニスは安堵した。
「そういえば、シロと初めて会ったのもこの場所だったな」
「わぅ、そうですね……なつかしいです……」
ぼんやりとした瞳で二人が出会った場所を見つめながらシロは大切な思い出を愛おしむように呟いた。
「俺たちが世界を救っただなんて、きっと誰も信じてくれないんだろうなぁ」
「誰も信じてくれなくても……アドニス様がすごい方だって、シロは知ってますから……」
「そっか、けどシロは凄く頑張ってくれたんだし、お祝いぐらいしないとな。今度街に行ったらシロの欲しいもの何でも買ってやるぞ、なにがいい?」
「わぅ……シロはアドニス様がくださったものなら……どんなものでも嬉しいです……」
「シロは欲がないなぁ」
「わぅ……シロはアドニスさまが側に居てくれたら……それだけで……しあわせですから……」
シロの瞳は重たくなっていく目蓋のせいで、もう、うっすらとしか開いていなかった。
「おっ、嬉しいこと言ってくれるじゃないか」
「わ……ぅ……アドニス、さま……だい……すき……です……」
そして、最後にそう囁くと、シロはくったりとアドニスに身体を預けた。
「ははっ、シロは大きくなっても甘えんぼだな」
シロの柔らかな重みを感じながら、アドニスは照れくさそうに笑う。
「あれ? そういえば、大きくなったシロがここにいて、小さいシロもこの世界にいるってことだよな? シロがふたりいるってことは……う~ん、どういうことだ?」
「…………」
「ミルフィーナさん、大きくなったシロを見たらきっとビックリするぞ」
「…………」
「はぁ、久しぶりにミルフィーナさんの作った料理、腹いっぱい食べたいなぁ」
「…………」
「なぁシロ?」
「…………」
「シロ?寝ちゃったのか?」
「…………」
アドニスにもたれかかるシロは、いくら呼びかけても、おだやかな表情で目を閉じたままだ。
「…………シロ?」
まるで眠っているように、動かなくなったシロの体から光の粒がふわりふわりと散っていく。
アドニスを救うために全ての神秘を使い果たした神獣が、役目を終え、天へと還っていく。
シロの肩を抱いた手の隙間からこぼれていく光を、アドニスはただ見送ることしかできない。
やがて、シロの体は跡形もなく消え去った。手に残っていた彼女の温もりも、やがて消えてしまった。まるで最初から存在しなかったかのように──。
*
アドニスは木の幹にもたれかかったまま、ぼんやりと空を見上げていた。
どれくらいそうしていただろうか、空はいつの間にか夕暮れに染まっていた。
「アドニスさま~」
そこに聞こえてくる呑気な声。きっと帰りが遅いアドニスを心配して迎えに来たのだろう、手を振りながら、小さなシロがトテトテと駆け寄ってくる。
「シロ……」
「わうっ、もうすぐ晩ご飯ができるからアドニス様を呼んで来てってミルフィーナさんが」
「そっか、早く帰らないとミルフィーナさんに怒られちゃうな」
そう言って、アドニスは立ち上がり、シロの小さな体を抱き上げた。
「帰るか、シロ」
「わう? アドニス様、シロ、自分で歩けますよ?」
「いや、いいんだ」
アドニスはそう言って、シロをぎゅっと抱きしめた。
「アドニス様? えへへ、わぅわぅ」
不思議に思いながらも、シロは嬉しそうに尻尾を振ってアドニスの首に抱きつく。
オレンジ色の夕陽に照らされた二人の背後に長い影が伸びる。
その影は家に着くまでピッタリとくっついて離れることはなかった。