風呂から出た後、俺が居間でテレビを見ながら珠代さんが上がるのを持っていると、しばらくして、しっとりと髪を濡らした珠代さんが戻ってきた。
お湯に浸かって体が温まったせいか、頰がうっすらと紅潮しているのがなんとも色っぽい。
「雪彦さん、お風呂をありがとうございました。寝巻きまで貸していただいて」
「俺ので悪いけどさ、今日のところはそれで我慢してくれ」
珠代さんは寝巻き代わりに貸した俺のスウェットを着ている。サイズが合わずにちょっとダブついてるが、むしろそれが可愛く見える。
「ふふっ、雪彦さんの匂いがしますね」
袖に鼻を押し当てスンと匂いをかぐ珠代さん。
ちゃんと洗濯してるから臭くはないはずなんだが。珠代さんは鼻がいいのだろうか?
「なんだか、雪彦さんに抱かれているみたいです」
「!?」
なにその魅惑的な台詞。もしかして、俺のことを誘惑してるのか?
そっちがその気なら、こっちも遠慮なく狼になってしまう所存なのだが、さっきの風呂場でしたことも珠代さんはどう思ってるんだ?
あんなことをしてしまったのだ、俺が珠代さんに欲情してるのはバレてるだろう。それだというのに、男に向かってそんな気のある素振りをするってことはつまり、そういうことなのか?
いやいや、落ち着け俺ぇ……まだ焦るような時間じゃない。勘違いして下手を打っては元も子もない。ここはクールに行こうぜ雪彦。
俺は一呼吸おいて珠代さんに向き合う。
「そろそろ遅いし、寝室に布団を用意してあるから、珠代さんはそこで寝てくれ」
両親が寝室として使っていた部屋に珠代さんを案内する。
「なにかあれば遠慮せずに言ってくれていいから」
「あの、一つお願いがあります」
「なに?」
「私が部屋で眠っている間、この襖は開けないでくださいますか?」
無断で部屋に入るなってことか? そんなことするつもりはないのだが。
珠代さんは何故そんなことをわざわざ言ったのだろうか?
疑問に思ったそのとき、俺の脳裏に閃きが走った。
いやまて、もしかするとこれはアレではないだろうか。古来から伝わる「絶対に押すなよ!」のアレ。
だとすれば、珠代さんの「襖を開けないで」という言葉に隠された意図を汲み取ると、導き出される答えは、「私が寝ているときにこの襖を開けて入ってきてくださいね♡」ということになる!
つまり……これは彼女からの”夜這いのお誘い”なんだよ!!
なんてこった。
まるで脳みそが感電したかのような衝撃、おそらくこのとき俺の思考回路は既にショートして煙を上げていたのだろうが、そんなことはどうでもいい。
珠代さんが俺を待っているのだ。据え膳食わぬは男の恥である。
明日になったら珠代さんは出て行ってしまうのだろうから、決めるとすれば今夜しかないのだ。
おっけー珠代さん、あなたの気持ちは俺がしっかり受け止めました。
「わかったよ珠代さん。安心してくれ」
「ありがとうございます。雪彦さん」
俺が力強く頷くのを見て、珠代さんは安心したように微笑んだ。
互いの想いが通じ合った瞬間である。
そして珠代さんと別れた後、俺も自室に戻ってから、しばしの時間が経過した。
さて、そろそろ頃合いだろうか?
部屋を出ると暗い廊下を歩いて珠代さんの寝室に向かう。
布団の中で俺を待ちわびているだろう彼女を想像しながら寝室の襖に手をかけたとき、中から微かに光が漏れていることに気づいた。
おっと、まだ準備中だったか。
俺は襖の隙間からコッソリと中の様子を伺う。
部屋の中には布団の前に立つ珠代さんの後ろ姿がはっきりと見えた。
はて、彼女は何をしているのだろう?
俺が覗き見していると気づいていない珠代さんは、おもむろにスウェットのズボンを脱いだ。
ノーパンだった。
「ふぅっ……人間に化けるのはいいけど、耳と尻尾を隠すのって大変……」
俺が珠代さんの美味しそうな尻を食い入るように見ていると、彼女はそう呟いた。
なんか今、人間に化けるとか聞こえたんだが……。
何かの聞き間違いかと思った俺は、その直後にとんでもないものを目の当たりにしてしまった。
なんと、珠代さんの頭から可愛い獣耳がピョコンと飛び出したかと思えば、お尻からはフサフサの長い尻尾がするりと生えてしまったではないか。
なんだこれ……俺は夢でも見ているのだろうか?
俺は驚きに目を見開きながら、その光景を覗き見る。
「雪彦さんに怪しまれなかったかしら? ふぁっしょん雑誌というものに載ってた女性と同じ服装で化けたけど、まだ服を着るのには慣れないわ……」
尻尾をゆらゆらと揺らす珠代さん。確かにズボンを履いたままだと尻尾が邪魔になってしまうな。
「気をつけないと、もしも私の正体がキツネのきな子だと雪彦さんに知られたら、恩返しができなくなってしまうわ」
なるほど、彼女の格好はファッション雑誌のコーデだったのか、どうりでこの田舎には似つかわしくないわけだ。
それでえっと、なんだっけ? 珠代さんの正体は化け狐で、きな子が恩返しをするためにやってきた……と。
なるほどなぁ、やっぱり正体がバレるのはご法度なのか。お伽話と同じだな。
うーん。
全部バレちゃってるよ珠代さぁんっ!!?
ワザとなのかと疑いたくなる程の清々しい自白っぷりである。
狐が人に化けるなんて、とても信じられることではないけれど、実際にこの目で彼女に耳と尻尾が生える瞬間を目撃してしまったからには否定することもできない。
唐突なネタバレに俺が混乱していると部屋の明かりが消えて視界が真っ暗になった。
どうやら就寝するために電気を消したようだ。
暗闇の中で、彼女が布団に潜り込む音だけが聞こえてくる。
「おやすみなさい。雪彦さん」
その呟きを最後に部屋は静寂に包まれた。
俺は音を立てないよう静かにその場を離れると、自室に戻って布団に潜り込んだ。
狐が人に化けていた。きな子が恩返しに来てくれた。惚れた女性の正体は狐のきな子。
どーすんだこれ。
取り留めがなさすぎて、考えはまとまるはずもなく。
やがて俺は思考を止めて眠りについた。