そして、期待と不安が入り混じった気持ちで迎えた約束当日の朝。
先に家を出た健二が神崎家のチャイムを鳴らすと、すぐに玄関のドアが開いて麻奈美が姿を現した。
「おはようケンくん」
淡い色のワンピースを着た麻奈美は普段の清楚な雰囲気はそのままに、控えめに施されたメイクが女性の色香を醸し出していた。
きゅっとくびれた腰やスカートから伸びる長くしなやかな脚。モデルとしてファッション雑誌に写真が載った経験もある麻奈美は、立っているだけで男の視線を惹きつけるスタイルをしていた。
無防備に近づいてくる麻奈美からフワリと香る芳香に鼻をくすぐられ、健二の鼓動が高鳴る。
「おっ、おはよう。麻奈美ちゃん」
高嶺の花とも言える女の子を前にして、とっさに気の利いたことを言えるほどの余裕が健二にあるわけもなく、麻奈美は何か言って欲しそうに指先で髪をいじりなら遠慮がちに健二を見つめるのだが、もごもごと口を動かすだけで言葉が出てこない。
何か言わなければと健二が焦っていると、後から修一もやってきた。
「おっす健二」
特別に着飾ってるわけでもないのに、相変わらずどんな服でも格好よく着こなす修一を見て、健二は自分の服装が不安になってきた。
無難なファストファッションのカッターシャツとボトムという姿は、二人と比べて明らかに見劣りしていた。
そんな健二をよそに、修一は麻奈美の姿を一瞥してから、ウンと頷く。
「その服いいね。大人っぽくて姉さんに似合ってる」
「ふふっ、ありがとうシュウくん。このまえ買ったの、早くて着てみたくて」
修一に褒められて麻奈美は嬉しそうに微笑んだ。
(ああっ、くそっ……麻奈美ちゃんは服を褒めてもらいたかったのか……)
自分が言えないことをさらりと言ってしまう修一に対して、健二は心の中で嫉妬した。
それでも、休日にこうして麻奈美と出かけられるのは、修一が居てくれるからこそだ。自分一人ではとても無理だということも理解している。
だから、その点は修一に感謝しなければいけないのだ。
三人揃ったところで、まずは駅に向かい、そこからしばし電車に揺られてから目的地に到着した。
そこはデートスポットとしても有名な場所で、周辺に都会的なビルなどはなく、石畳や古民家など昔からの情緒が数多く残っている、ゆったりとした雰囲気の街だった。
通りを歩いていると雑貨屋から服屋、喫茶店など、モダンな造りの店も多数点在しているので、それらを見て回るだけでも楽しめる。
もちろんこの場所を提案したのは修一だ。健二だけでは地元の映画館ぐらいしか思い浮かばない。
このイケメンとはインプットされている情報からしてモテ度が違うことを痛感した。
そして三人は街並みを楽しみながら、足の向くままに色々な店をのぞいて行った。
健二は最初こそ麻奈美と一緒に歩いていることに喜びを感じ、フワフワとした気持ちで足取りも軽かったのだが、それも次第に重いものへと変わっていった。
三人で並んで歩いていると、嫌でも自分がこの姉弟と不釣り合いだと自覚させられてしまうのだ。
街中を歩いていると、麻奈美と修一はその優れた容姿から、自然と周囲の視線を惹き寄せる。
何も知らない人が見れば、美男美女のカップルが仲良く歩いているように見えるだろう。
気の利いたトークで終始場を和ませているのは修一で、麻奈美も楽しそうに話をしている。
修一の隣を歩いている健二は、ただ相槌を打つしかできず、三人で歩いていながらどこか疎外感を感じていた。
いつもこうなのだ。クラスでも寄ってくるのは修一目当ての連中ばかりで、健二は修一にくっついているオマケ扱いである。
「ケンくん、疲れちゃった?」
浮かない顔をしていた健二に気づいた麻奈美は、気遣うように声をかける。
「いや……大丈夫だよ」
「そう? なんだか私だけはしゃいじゃってゴメンね。こうやって三人で出かけるの久しぶりだったから」
「姉さんて、そいういうとこは子供っぽいよね」
「だって、楽しみだったんだもの」
修一にからかわれて、麻奈美は恥ずかしそうに反論した。
麻奈美が今日をそんなに楽しみにしてくれていたとは思わなかった健二は、自分のせいで雰囲気を悪くしてはいけないと、どうにか笑顔を作る。
「大丈夫、俺も楽しいよ。次はあっち行ってみない?」
健二は誤魔化すように、たまたま目に付いた細い路地を指差した。
「なんか穴場っぽい店があるかもな。行ってみようぜ?」
修一が先に進み、健二と麻奈美も後を追って路地へと足を踏み入れる。
しかし、それからしばらく道なりに進んでいくが、いけどもいけども店らしきものは見当たらない。
街中のはずなのにいつのまにやら人の喧騒もかき消えて、不思議な静けさに包まれていた。
麻奈美が少し不安そうに辺りを見回す。
「この道、どこに続いてるのかしら?」
「ごめん麻奈美ちゃん、なにか店があるかと思ったんだけど、引き返そうか……」
「いいじゃん、もう少し先に行ってみようぜ?」
麻奈美の心配をよそに、修一は興味津々に進んでいく。
それからどれだけ歩いたのか、一分だったような、一時間だったような、まっすぐ進んでいたはずなのに、振り返っても同じような道が続いているだけで、自分たちがどこを歩いているのか、よくわからなくなってきた。
いよいよ不安な気持ちが抑えきれなくなってきたとき、行く手に一軒の建物があることに気づいた。近づいてみると、ずいぶん時代がかった外観をしており、表には看板らしきものが吊るされているが、いったい何の店なのか分からない。
三人は怪しみながらも、まるで吸い寄せられるかのように店の中へと入って行くのだった。
内部は窓から差し込む陽光と、壁に取り付けられたランプの光だけで照らされており、昼間だというのに少し薄暗い。
店内を見回すと、一見して何に使うものなのかも分からない道具や古びた書物が所狭しと置かれているせいで、それなりに広い空間のはずだが実際より狭く感じてしまう。
奥にある重厚なカウンターが鈍い光沢を放っており年季を感じさせる。おそらく本来はそこに座っているはずの店主は、どうやら今は不在のようだった。
「なんだか変わったお店ね……」
「うん……骨董屋かな」
麻奈美と健二がこわごわと店内を見回しているが、修一は恐れることなく店の中をうろついている。
そこで修一は、部屋の隅に置かれている漆塗りの小さな台を見つけた。
艶のある漆黒の表面は金色の蒔絵によって美しく装飾されており、その台の上には厚みのない何かが綺麗な布を被せられた状態で鎮座していた。
「なんだこれ?」
修一は好奇心に駆られ、被せてあった布をめくってみると、中から一枚の美しい鏡が姿を現した。
台と同じく縁には綺麗な装飾が施されており、一見して美術的にも価値のあるものだと思わせる。
「ちょっと修一、勝手に触ったらお店の人に怒られるわよ」
「これぐらい平気だって」
麻奈美と健二も後ろから鏡を覗き込んだから、三人の姿が鏡に写り込んでいた。
こうして二人と並んでいるのを見てしまうと、健二は自分の平凡さが浮き彫りにされているようで、鏡の中の自分に落胆してしまう。
冴えない顔、自信のない瞳、とても麻奈実とは釣り合わない自分。
それに比べて修一の自信に満ちた表情といったら、クラスの女子にもモテるし、こんな美人な姉と一緒に暮らしいるのだ。きっとこいつの人生はなにもかもが思い通りになってさぞ気分がいいのだろう。
健二の心は嫉妬と羨望の入り混じった靄に包まれる。
このままでは、おそらく自分はこの先ずっと、麻奈美に気持ちを伝えることすらできないまま、彼女が遠くにいくのを指をくわえて見ていることしかできないだろう。
そんなのは嫌だった。自分も麻奈美にふさわしい男になりたかった。
(そうだ……僕だって、修一のようになりたいっ……!)
健二がそう心の中で強く願ったときだ。それは目の錯覚か、鏡の中に映った自分がニヤリと笑ったのだ。
「えっ!?」
健二が驚きのあまり後ずさると、二人は何事かと顔を向ける。
「いっいま……鏡に映った俺が……動いた」
「そりゃあ動くだろ、鏡なんだから」
「違うんだ、笑ったんだ……俺は笑ってなんかないのに……」
健二の青ざめた表情に、麻奈美もこわごわと鏡を見つめる。
「やだ、ケンくん脅かさないで……」
「なんだよ、怪談か?」
修一は健二が自分たちを脅かそうとしているのだと思っているのか、全く信じようとはしない。
健二はもういちど鏡をよく見るが、そこに映る自分がひとりでに動くなんてことはなかった。
そこにあるのは、なんの変哲もない鏡である。
しかし、この店の妖しい雰囲気のせいか、冷たいものが背筋を伝うような感覚に陥る。
「なんだか怖いわ」
麻奈美は鏡から離れると、掛けられていた布を鏡に被せた。
鏡が元の状態に戻されたとき、突然、店の奥から物音が聞こえた。
麻奈美は思わず身をすくめて健二に体を寄せる。
麻奈実の大きな胸がフニャリと腕に当たる感触に健二が思わず頬を緩ませていると、店の奥にある扉が軋むような音を立てながらゆっくりと開き、奥から黒い影が姿を現した。