「あれぇぇぇぇぇぇ──ッ!?」
重力から解き放たれ空に向かって急上昇する体。地面はぐんぐん離れていき、周りの木々よりも高く高く昇っていく。
(うわぁ、人間てこんなふうに飛ぶんだぁ……)
これもルナリスの乳加護のおかげだろう、ホブゴブリンの豪腕が繰り出した一撃は常人であれば即死しているところだったが、アドニスはまるで痛みを感じることもなく、浮遊体験に感動しながら小さくなったホブゴブリンたちを見下ろす。
さながら鳥にでもなったかのような気分、このままどこまで飛んでいけそうだ!
などと思っていたら、すぐに上昇の頂点へ到達した体が思い出したかのように重力に引っ張られ、落下を始めた。
(ひぇっ!?)
上昇しているときとは違い、身動きができない状態で加速落下しながら地面が迫り来る光景は恐怖でしかなかった。
(こっ、こわっ! しっ、しぬっ、これは流石にしぬんじゃないのか!?)
空中でジタバタもがいたところで何の意味もなく、アドニスは頭から垂直に地面に激突した。
ぐしゃりと落ちた衝撃で大きく跳ねたアドニスの体が地面の上を転がる。
「GOBUGOBUGOBU!(意訳:オイオイオイ!)
「GOBUU!(意訳:死んだわアイツ!)
墜落死をとげたアドニスを指差してGOBUGOBU笑うホブゴブリンズ。
「そんな……アドニス……」
力及ばず依頼人を守ることができなかった不甲斐なさと、これから自分の身に襲いかかるであろう惨たらしい結末を想像し、ルヴィアが悲痛な面持ちで項垂れたときだった。
「あー、まじで死ぬかと思った……」
むくりと、何事もなかったかのように起き上がったアドニスに、ホブゴブリンとルヴィアは目を丸くする。
「GOBU!?(意訳:なんで生きてんだよ!?)」
「ふっ、お前たちの攻撃など、俺の【女神の乳鎧】の前にはムダだ!」
ちゃっかり技名を付けてドヤるアドニス。
「GOBUBU!? (意訳:こいつ何言ってんだ!?)」
「GOBUBUBUB! (意訳:わからねぇけどなんかヤベェぞ!)」
死んだと思ったのにゾンビのように蘇ったアドニスに、ホブゴブリンたちも驚愕している。
「さあ、お仕置きの時間だぜ! とうっ!」
逆転劇の始まりを告げる拳が唸り、ホブゴブリンの腹に直撃する。
「せい! そい! おりゃあ!」
殴る殴る、怒涛のラッシュ!
しかし、見た目は柔らかそうなヌイグルミだというのに、まるで樹の幹を殴ったかのようにビクともしなかった。いくら女神様の加護があろうと、所詮は村の牛飼いである。
「ふぅぅっ……ちょっ、ちょっとたんま」
息が切れて一旦休憩するアドニスはホブゴブリンの手であっさり捕獲された。
「こんちくしょう!」
「GOBUBU (意訳:そのまま押さえといて)」
「GOBU」(意訳:おっけー)」
片方のホブゴブリンに羽交い締めにされたアドニスの脳天に、もう片方が振りかぶった棍棒が打ち下ろされる。
鈍い音と共に炸裂した一撃、ふつうなら頭が砕けているところだが──やはり無傷!
「ふっ、言ったはずだぜ、おまえらの攻撃じゃあ俺には傷一つ付けられ……」
「GOBU!(意訳:おらっ!)」
「おぶっ!?」
不敵に笑うアドニスの顔面に棍棒が叩きつけられる。
「いや、だから、お前らの攻撃じゃ俺には傷一つ……」
「GOBUGOBUGOBU!(意訳:オラオラオラッ!)」
「おぅふっ!? だからっ、やっ、やめっ……」
何度殴られたとこでダメージはゼロなのだが、やり返せないので完全に玩具である。
「GOBUBUU(意訳:うーん死なねぇなぁ、めんどくせぇから、もう埋めちゃうか)」
「GOBUGO(意訳:おっけー、穴掘るわ)」
殴るのをやめて、おもむろに穴を掘り始めるホブゴブリン。アドニスには何を言ってるのか分からなかったが、何をしようとしているのか察しがついて青ざめる。
「おっ、おい待て、そういうのって、良くないんじゃないかなぁ? 男ならやっぱり拳で決着をつけるべきだとぼかぁ思うなぁ!」
抗議も虚しく、掘られた縦穴に埋められてしまった。しかし慌てることはない、だって彼は物語の主人公だもの!
「ふっ……たとえ俺の動きを封じたところで、【女神の乳鎧】に守れた俺には傷一つ付けられないんだぜ?」
畑の大根のように地面から頭だけ出す情けない姿となりながらも、女神様の加護に守られているアドニスはドヤ顔で言い放つ。
すると──なんということでしょう。ホブゴブリンたちは埋まってるアドニスの顔に照準を合わせて股間のチンコを向けたではありませんか。どうやら腹いせに小便をひっかけるつもりのよう。
これにはアドニスも戦慄せざるを得ない!
「おいバカやめろ! 傷ついちゃうから! そんなことされたら俺のデリケートな心が傷ついちゃうから!」
いかに肉体は女神様の加護で守られようとも、そんなことをされたら精神に甚大なダメージを負ってしまうのは請け合いである。
今まさに、アドニスのメンタルに屈辱が刻まれようとしたときだった。
とつぜん片方のホブゴブリンの体がぐらりと揺れて、アドニスの目の前に倒れ込んだ。
「GOBUGOBU?(意訳:おいっ、どうした?)」
何が起こったのか理解できずにいたもう一匹が、倒れた仲間の首筋にナイフが突き立てられているのを見て、それが敵による奇襲だと気づいたときには、すでルヴィアが背後をとっていた。
「お返し」
油断し脱力していたところへのバックスタブが、今度こそひと突きのもとに首を貫き絶命させる。どうやら、バカなホブゴブリンはアドニスをいたぶるのに夢中になってルヴィアを放していたらしい。
「アドニス、大丈夫?」
「うん、まぁ……怪我はないよ……」
ルヴィアの表情には「この人なんで生きてるんだろう?」という疑問が見て取れたが、顔をぐっしょりと濡らしたアドニスに説明する気力は残っていない。
危機一髪で助かったかに思われたが、死際に放たれたホブゴブリンの小便が顔に直撃し、しっかり心にダメージを負っていた。
その後、ルヴィアの手によって掘り起こされたアドニスは、彼女の手に引っ張られてどうにか穴から脱出することができたが、ふたりともザーメンやら小便をひっかけられて散々である。
「はぁ……酷い目にあった、早く洗いたい……」
「ん、わたしも……」
体に染み付いた悪臭にげんなりするアドニスの隣で、体に付着したホブゴブリンのドロついたザーメンを嫌そうに手で拭うルヴィア。彼女の上半身は服が引き千切られてしまったせいで、たわわなお乳が丸見えになっている。
(うほっ、これは良いお乳!)
見てはダメだと思いながらも、乳の誘惑についつい視線が引き寄せられてしまう。
プルンと実った綺麗な曲線を描く乳房に鼻の下を伸ばすアドニスは、そこで彼女の左乳房に傷があることに気づく。先程の戦闘でついたものではなく、ずいぶんと古い、焼印でつけられたような痛々しい傷跡だった。
「ルヴィア、それって……」
「あっ」
アドニスの視線に気づいたルヴィアは、とっさに手で傷を隠した。きっと見られたくないものだったのだろう。アドニスも余計なことを言ってしまったと口をつぐむ。
そして、ふたりは気まずそうに黙ったまま、体についた汚れを落とすべく泉へと向かうのだった。