日曜日は、朝から雨だった。
叩きつけるように降って、少し弱まって、またざあっと来る。屋根を打つ音が強くなるたびに、家の中が余計に静かに感じる。
テレビを見る気分でもなく、かといって、この雨では外に出る気にもならない。暇を持て余して縁側に座っていると、ちょうどお隣の勝手口が開いた。中から出てきたエプロン姿の栞が歩に気づいて会釈する。
「こんにちは、歩くん。今日はよく降りますね」
「そうですね、おかげで、せっかくの休みなのに、家でゴロゴロしてるだけですよ」
「炊き込みご飯を作ったんですけど、よかったら、お昼どうですか」
もちろん断る理由はない。すぐに向かった栞の家。入るのは久しぶりだった。台所からは味噌汁の匂いが漂っている。
食卓には炊き込みご飯と、焼き魚、豆腐とわかめの味噌汁が並んでいた。茶碗が二つ。箸が二膳。最初から歩が来ることを見越していたかのようだった。
「いただきます」
「どうぞ」
炊き込みご飯はごぼうと人参と鶏肉が入っていて、味が丁寧に染みていた。
「美味しいです」
「よかった。ごぼうが安かったので」
会話はそれだけだった。二人で黙々と食べた。窓の外の雨音が、食器の音と混じっている。
食べ終わり、栞が急須にお湯を注いでいる間、歩は縁側に出た。栞の家の縁側は歩の家と向きが違って、裏庭の畑では雨に打たれて野菜の葉が揺れていた。
栞が湯呑みを二つ持ってきて、隣に座った。
しばらく、何も話さなかった。けれど、この沈黙は居心地がよかった。慣れたからだろうか、最初のような気まずさもない。ただ一緒に雨を見ている。それだけのことが、歩には贅沢に感じられた。
「仕事、慣れましたか」
栞が口を開いた。
「だいぶ。最初は叔父さんの字が汚くて苦労しましたけどね」
「忙しいんですか?」
「まあ、人が少ないんで。叔父さんと田中さんが外に出てると、事務所は俺だけのときもあって」
「おひとりで大変ですね」
「いや、沙世さんが手伝いに来てくれるんで、助かってます」
「お昼はどうされてるんですか?」
「あっと、それも沙世さんが、叔父さんの分と一緒に、俺の弁当も作ってきてくれて」
「そうですか」
栞の指が、湯呑みの縁をなぞった。
歩も言ってから、なんだか、少しやましさを感じた。べつに栞に遠慮することなんてないはずなのに。けれど、もし栞が自分と沙世の関係を気にしているのなら――と、思ってしまう自分がいた。
「歩くんがちゃんとやれてるみたいで、よかったです」
「はは、そんな子どもじゃないんだから」
歩と栞は小さく笑った。それから沈黙が戻った。雨音が強くなっている。軒先から雫が落ちて、地面の水たまりに波紋を作っている。
「手の怪我、もう平気ですか?」
ふと、栞の視線が歩の右手に落ちた。
「ええ、もう痛くないですよ」
手の甲。ガーゼはもう取れているが、薄い傷跡が残っている。角材で切った傷。沙世が手当てしてくれた傷。
栞の指が伸びた。
歩の右手の甲に、栞の指先が触れた。傷跡の上を、そっとなぞる。冷たくて、細い指だった。
言葉はなかった。ただ、指が動いている。傷跡を確かめるように。撫でるようになぞる。
触れたい、と思ったときには、もう栞の手を握っていた。
「あっ……」
栞の手が小さく動いた。けれど、振りほどかなかった。
しっとりした指は冷たく、けれど、握っているうちに、歩の体温が移って、だんだんと温かくなっていく。
どちらも何も言わなかった。雨音だけが二人の間を満たしている。湯呑みの茶が冷めていくけど、二人は手を握ったまま動かなかった。
お互いに手を見て、目を合わせない。
これは栞との約束を破る行為だと分かっていても、歩は境界線をさぐるように、親指の腹で栞の指をそっと撫でる。
白くて細い人差し指を、付け根から指先まで、ゆっくり何度も往復していると、栞の親指も同じように、歩の指を撫で始めた。
言葉はなく、くっつけて、擦り合わせて。どのくらいそうしていたのか、わからなかった。
雨脚が弱まった。屋根を打つ音が遠くなる。
栞の指が、ゆっくりと離れようとして、歩も手を開いた。
「……そろそろ、帰りますね」
「……はい」
栞が玄関まで送ってくれた。
「また、来てください」
背後から声が聞こえて振り向くと、栞はエプロンの裾をきゅっと握って歩を見つめていた。彼女からそう言われたのは初めてだった。
「はい、もちろん」
歩は傘を開いて、隣の自分の家に帰った。ほんの数歩の距離しかなかった。庭を見る。ちっぽけな垣根は頼りなく、その気になれば容易く乗り越えてしまいそうだった。

