翌日、歩は叔父である克典の家を訪ねた。
実家から歩いて二十分ほどの高台にある。昨日のうちに電話を入れておいた。挨拶に行きたいんですけど、と言ったら、克典は「おう、来い来い」と二つ返事だった。声の調子は昔と変わらず力強くて直球で。それが逆に歩の足を重くした。
途中、田んぼに張られた水が光を弾いて、道の端までちらちら揺れていた。用水路の音がずっとついてくる。坂を上るにつれて家の間隔が広がって、空が近くなった。
克典の家は、敷地だけで歩の実家の三倍はある。庭木は手入れが行き届いていて、門の横の紫陽花はまだ固い蕾だった。
インターホンに手を伸ばすと、柔らかな女性の声が聞こえてきた。返事をしてしばらく待っていると、門が開いて、中から温和な表情をした女性が出てきた。
遠山沙世《とおやま さよ》。歩むの叔母だ。最後に会ったのはやはり三年前、母の葬儀のときだ。記憶にあるのは喪服姿だが、今は紺のブラウスにタイトな白いパンツ。化粧は薄いが、それで十分だった。ゆるやかにウェーブした艶のある髪は肩の少し下。ブラウスの第一ボタンを外しているせいで、なやましい膨らみが強調されている。幼い頃から知っているが、そのスタイルと美貌は四十手前とは思えない若々しさがある。
「歩。久しぶりねぇ」
「どうも、お久しぶりです沙世さん」
「ほら、早く入って、あの人が待ちわびてるわ」
沙世が先に立って歩き出す。背中を追いながら、白いパンツに包まれた形のいい尻が動きに合わせて左右に揺れるのを見てしまい、思わず視線をそらした。
連れて行かれた玄関には、克典が立っていた。五十を過ぎて腹回りに肉がついたが、背筋は真っ直ぐで、堂々としているところは、昔から変わらない。
「お久しぶりです叔父さん。ご無沙汰してすみません」
「なに言ってんだ、堅苦しい。ほら上がれ上がれ」
玄関の床は艶が出るぐらいに磨かれていて、下駄箱の上に花が活けてある。広い廊下を通されて、奥のリビングに案内された。革張りのソファ、壁掛けの時計、窓の外には玉砂利の敷かれた庭。歩の実家とは別世界だった。
「まあ座れ。沙世、お茶」
克典がソファに腰を下ろしながら、おうへいに言う。
「はぁい」
軽い返事をして沙世は台所の方へ向かう。歩はソファに浅く座って、膝の上に手を置いた。
「聞いたぞ。仕事、クビになったんだってな」
「ええ……その……いろいろありまして」
「いろいろ、か」
克典は腕を組んで、軽く唸る。
「まあ、しょうがないわな。若いうちは色々ある。ここでゆっくりやり直せ」
温かい言葉のはずだった。でも「しょうがない」という言葉が、胸の中でつっかかった。歩は曖昧に笑って頷いた。
「はい、お待たせ」
声と一緒に、盆を持った沙世がやってきた。お茶を配ろうとテーブルに盆を置く。身を屈めたせいで服の胸元がたわみ、正面にいた歩の視界に、むっちりした谷間とレースのブラジャーが飛び込んできた。
白くて柔らかそうな叔母の巨乳に視線が吸い寄せられそうになる。しかし、なんとか顔をそむけると、沙世は歩の顔をまじまじと見て口元を緩ませた。
「はい歩。熱いから気をつけてね」
「あ、はい……どうも」
湯呑みが歩の前に置かれる。ほうじ茶の香ばしい匂いが立ち上った。それと一緒に、おそらく香水だろう、石鹸よりも甘くて柔らかい匂いが沙世から香った。
それから沙世も克典の隣に座った。二人が並ぶと、夫婦というには少し違和感があった。一回り以上も歳が離れている夫婦だ、どうしてもそう見えてしまうのかもしれない。
「歩もこっちに戻ってきたばかりで大変でしょう? 何かあったら頼ってくれていいんだからね」
近況を報告していると、沙世がそう言った。彼女は叔父と違って、東京で何があったかを詮索はしないでくれた。
「はい、まあ、なんとかやっていけたらと」
「お前は昔からどうも気が弱いところがあったからな。もういい歳なんだ。これを機に、もう少し、しゃんとしたほうがいいな」
克典は笑いとばすように言った。悪気はない。叔父は昔からこういう人間だとわかっている。だからこそ苦手でもあった。
「そう、ですね……」
歩は湯呑みに口をつけた。ほうじ茶が舌を焼いた。
沙世は何も言わなかった。ただ、視線が一瞬だけ克典と歩へと動いて、すぐにテーブルの上に戻った。
「そうだわ、美味しい羊羹を買ってあるの、すぐに切るわね」
沙世が立ち上がった。
台所に沙世が消えている間、克典は町の近況を話した。商店街の空き店舗が増えたこと。川沿いの道が舗装し直されたこと。若い夫婦が一組越してきたこと。歩は相槌を打ちながら聞いていたが、頭の半分は別のことを考えていた。どうにも克典の言うことは耳から入ってもすぐに抜けていく。会話というよりも、一方的に壁打ちされているような気分だった。
沙世が皿を持って戻ってきた。厚めに切れらた羊羹が小皿の上に綺麗に並んでいる。
「はい、歩」
差し出された皿を受け取るとき、沙世の指先が歩の指に触れた。一瞬だったが、指がなぞられた気がした。けれど、沙世は何でもない顔で手を引いた。
「ありがとうございます」
「もぉ、よそよそしいわね。昔はさよちゃんさよちゃんって懐いてたのに」
「いや、さすがにもう……」
「ふふ、冗談よ」
沙世が席に戻った。歩は羊羹を口に入れた。甘さが品よくて、お茶とよく合った。ふと、羊羹を口に運ぶ沙世が視界に入った。艶のある唇がやけに艶めかしいと感じた。
そのとき、克典のスマートフォンが鳴った。
「おう、俺だ。ああ……うむ、わかった。仕方ないな、すぐ行く」
短く返事をして、克典はソファから立ち上がった。
「悪いな、歩。ちょっと商工会の用事で出なきゃならん。すぐ戻るから、ゆっくりしてけ」
「あ、いえ、お忙しいなら俺も――」
「いいからいいから。沙世、歩の相手してやってくれ」
克典はそれだけ言って、玄関の方へ歩いて行った。引き戸が開いて、閉まる音がした。
急に、部屋が静かになった。


