時計のアラームで目が覚める。カーテンの隙間から白い光が差し込んで室内をぼんやりと照らしていた。
布団をはねのけて体を起こした俺は、欠伸をしながらぼんやりと天井を眺める。
なんだか変な夢を見ていた気がするのだが、よく思い出せない。
眠気の残る頭を揺らしながら部屋でを出て洗面所に向かう。
蛇口から流れる冷水を顔に叩きつけると、ようやく意識がしゃっきりとして、ついでに昨夜の記憶が蘇る。
珠代さんが恩返しにきた狐だなんて、まるで夢のような話だが、あれは間違いなく現実だった。
どうするべきなのか分からなかったが、ともかく珠代さんに会わなければ話が始まらない。
彼女はまだ寝ているだろうか?
古い木造の家はいつもと変わらぬ静けさに包まれていながらも、微かに漂ってきた味噌汁の香りが鼻をくすぐった。
匂いがしてくる台所へと足を運ぶと、そこには流し台の前に立つ珠代さんの姿。
ただし、頭から獣耳は生えてないし、スカートから尻尾がはみ出してもいない。
黙って後ろ姿を見つめていると、視線に気づいたのか珠代さんが後ろを振り向いた。
そして俺の顔を見た彼女はにっこりと微笑んだ。
「おはようございます、雪彦さん」
「おっ、おはよう……珠代さん」
「すぐに朝食ができますので、もう少しおまちくださいね」
色々と考えるべきことは山積みだが、朝起きたら台所にエプロン姿の珠代さんが立っていて、俺のために味噌汁を作っている。
その事実に俺はどうしようもなく幸せな気持ちになってしまった。
とりあえず今は余計なことを言うのは止めて、大人しく居間で待っていると、すぐに珠代さんが食事を運んできた。
炊きたての白米は艶々に光り、豆腐とネギの味噌汁からは温かい湯気が立つ。芳ばしく焼かれた鮭の切り身は脂を滴らせ、小鉢にはほうれん草のおひたしが添えられて、まさに日本の朝食といった組み合わせだ。
珠代さんの姿をぼけぇっと眺めていると、配膳を終えた彼女が向かいに座ったので、二人そろって「いただきます」と手を合わせて食事を始める。
味噌汁を一口飲んでから、パリッと焼かれた鮭を口に運びつつ白米も一緒に食べる。
うまいっ! うますぎるっ!
味付けもさることながら、珠代さんと二人で向かい合って食べる食事の幸福感といったらない。
「珠代さん、すごく美味しいよ」
「ふふっ、よかった」
俺の言葉に顔をほころばせながら、珠代さんは上品な仕草で箸を進める。
これはもう新婚さんといっても過言ではないだろう。
そして俺たち二人は仲睦まじく暮らしてゆくのであった。
いつまでも、いつまでも――――。
<完>
……って、いやいやそうじゃねえよ!
あまりに幸せすぎたもんで、思わずここで完結しそうになってしまったわ。
けど忘れちゃあいけない。珠代さんの正体はキツネのきな子なんだよ!
俺はそんなこととはつゆ知らず、彼女に恋をしてしまったわけで。
真実を知った今、俺は目の前のキツネ系女子とどう向き合うべきか考えなくてはならないんだ。
俺がじっと見つめているのに気づいた珠代さんが微笑んだ。彼女が笑うと目尻がフニャリと下がってなんとも優しい顔つきになる。
ん゙ん゙ぅぅッ!! 好きだッ!!!
有りか無しかを冷静に考えた結果、有り寄りに寄りきってハミ出すぐらいに有りぃィッ!!!!
正体が狐で何が問題だというのだ!? 可愛いし優しいしおっぱい大きいし最高やんけ!!
恩返しのためにやってきたというのなら、珠代さんの好感度は現時点でかなり高いはず。エロゲでいうならフラグが立って珠代さんルートに突入してる状態だ。
だったら後は全力でアプローチかけまくるべきだろ!
そうだ、悩む必要なんて何もなかった。彼女が狐だろうが人間だろうが関係ない。初めて彼女を見たときの胸の高鳴りを信じればいいのだ。
そのためにも、珠代さんと一緒に暮らすことは必須条件。
珠代さんだって恩返しをするために我が家に滞在したいと考えているはずだ。だったら俺がその方向に話を持っていけばよい。
よぉしっ、いくぜぇ。
「いやぁっ、珠代さんは本当に料理が上手だなぁ!」
俺は大袈裟なリアクションをとって珠代さんの注意を引く。
「ありがとうございます。雪彦さんのお口にあって良かったです」
「一人暮らしだと飯なんて適当に済ませちゃうから栄養も偏り気味だし、珠代さんの料理が毎日食べられたらなぁ」
もの凄いワザとらしい口調になっているが仕方ない。
さあ、これでどうだ?
珠代さんは俺の言葉に少し考え込むそぶりをしてから口を開いた。
「実は私、その……事情がありまして、ちょうど住む場所を探していて――」
「大歓迎です。一緒に暮らしましょう」
「ぇっ!? あっ、はい、ありがとうございま……す?」
いかん、興奮のあまりつい食い気味に答えてしまったせいで、珠代さんがポカンとしている。
しかし今のは完璧な会話選択肢だったのではないだろうか。
間違いなくグッド・コミュニケーションである。
この流れでガンガン攻めていくぜぇ。
「一人で暮らすには広すぎる家だし、俺も珠代さんが居てくれると助かるよ」
「そう言っていただけると嬉しいです」
「ほんとほんと、珠代さんだったら、ずっとこの家で暮らして欲しいぐらいさ!」
どやっ! さりげない告白で珠代さんのハートをキャッチだぜ!
しかし、俺の期待とは裏腹に、珠代さんは困った顔をして頭をさげてしまう。
「……ごめんなさい雪彦さん、ずっとはいられないんです」
あっるぅぇぇっ!? まさかのバッド・コミュニケーション!?
そういえば、過去にきな子ともこんなやり取りをした覚えがあるぞ。
そうだよ、だからきな子は最後につがいのオス狐に連れ帰られたんじゃないか!
俺は珠代さんとの間に大きな障害があることをすっかり失念していた。
うつむく彼女に、俺は恐る恐る尋ねる。
「あのさ、珠代さんて……結婚、してたりする?」
本当は聞きたくもない事だが、今後のためにはハッキリさせておかないといけない。
「はい……主人がいます。隠しごとをするつもりはなかったのですが……」
やっぱりそうか……珠代さんが旦那のことを想っている限り、俺と彼女が末長く暮らす未来はやってこないだろう。
だったら、俺がすべきことは決まっている。
「いや、珠代さんにも色々と事情があるだろうし、俺も無理に詮索しないからさ」
「雪彦さん……」
「ともあれ、これからしばらく一緒に暮らすんだ。よろしくね珠代さん」
本当はものすごいショックを受けているのだが、俺はさして気にしていないかのように軽い口調で言う。
いま俺がゴネたところで状況は何も変わらない。
このままでは、いずれ珠代さんは俺の元を去ってしまう。
それを防ぐためには、珠代さんがうちに滞在している間に好感度を上げに上げて限界突破させて、もう旦那の元に帰る気すらも起こさせないラブラブ状態にするしかないのだ!!
『狐のヨメ寝取り計画』の始動である。
俺が内心でよからぬ事を考えているとは思ってもいない珠代さんは、信頼しきった瞳でこちらを見ている。
うっ……なんだか申し訳ない気持ちになってしまう。いやしかし、ここで貴女を諦めるなんて俺には出来ないのです。
「ありがとうございます雪彦さん。これから家事は私に全てお任せください。他にもしてほしい事がありましたら、なんなりと」
「なんなりと?」
「はい、なんなりと」
頑張って恩返しをしようとする珠代さんには申し訳ないが、俺の頭にはエロいことをなんなりとされてしまう珠代さんの姿が想像されてしまう。
いや、珠代さんの心を射止めるには多少刺激的なことも必要だろう。
であれば、俺はエロいことも辞さない覚悟で臨むものであります!
「不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
「あっ、いや、こちらこそ。どうぞよろしく」
三つ指ついて頭をさげる珠代さん。俺も慌てて頭を下げ、互いにお辞儀し合う形となった。
こうして俺と珠代さんの同棲生活は始まったのだ。
