「初めまして、私はキツオと申します。こちらでお世話になっている珠代の夫です」
「ぶフッ!?」
まじでキツ夫だったのかよ、思わず吹き出してしまったわ。
「なにか?」
「いや、なんでも」
キツ夫はこっちを値踏みするような目で見てくる。キツネの姿をしていたときは、まだ可愛げもあったのだが、こうして男の姿で対面すると、どうにもいけ好かない野郎だ。
「それで、妻はどちらに?」
珠代さんなら台所で洗い物をしていたけれど、このまま二人を会わせれば間違いなく面倒なことになるだろう。彼女は留守ってことにして、門前払いにするべきか?
しかし、キツ夫を追っ払う前に、タイミング悪く珠代さんが出て来てしまった。
「あなた、どうしてここに……」
後ろから珠代さんの戸惑う声。
ちっ、こうなってしまったら、もう誤魔化すこともできないな。
俺は仕方なくキツ夫を家に上げることにした。
案内した居間では、珠代さんとキツ夫が並んで座り、俺はテーブルを挟んだ対面で二人と向き合う形となった。
キツ夫の野郎、当然のように珠代さんの隣に座りやがって!
二人が夫婦だということを見せつけられているようで非常にムカツクぜぇぇ。
まあ、立場的には俺が間男なのだからしょうがないのだが……それでも、こうして事実を突きつけられるとやはり堪えるな。
「それで……今日はどういったご用件で?」
俺は顔が引きつるのを感じながらも、なるべく柔和な笑みを浮かべながらキツ夫に尋ねる。
「このたびは妻のワガママで大変ご迷惑をおかけしました」
「いや、全く迷惑とかなかったですけどね、むしろ居てくれて助かってますけどね」
「しかし、既婚の女がいつまでも他所の男の家に住むというのはよろしくない。妻は連れ帰らせていただきます」
やはりそう来たか。こう言われてしまうと俺には拒否権がない。珠代さんの気持ち次第となってしまう。
「まってくださいあなた、私はまだ……」
「もう気は済んだだろう? あまりワガママを言うな」
それまで俯いていた珠代さんが何か言いかけたが、キツ夫の高圧的な物言いに遮られてしまう。
このやろうキツ夫! 珠代さんをの話をちゃんと聞けよ!
「珠代さんがうちに居たいっていうなら、俺は全然かまわないよ」
「雪彦さん……」
俺の言葉を聞いた珠代さんは、もういちどキツ夫に向き合う。
「あなた、私はまだ帰ることはできません」
珠代さんの反抗が予想外だったのか、キツ夫は少し驚いたような顔をしてから、苛立たしげにため息をついた。
「すみません、少し、妻と二人で話をさせてもらえますか?」
なにぃ? 二人っきりでいったい何を話すつもりなんでしょうねキツ夫さんよぉ?
難癖つけて拒否しようとしたが、珠代さんがこっちを見て頷くのを見て、俺は仕方なくその場を退散することにした。
「それじゃあ、話がまとまったら呼んでください」
それだけ言って、俺は部屋を出て自室に戻る……フリをして隣の部屋でこっそりと聞き耳を立てる!
耳を澄ますと襖の向こうから二人の話し声が聞こえて来た。
「どういうつもりだ珠代、なぜ帰ろうとしない?」
「私には雪彦さんに恩返しをする義務があるからです」
「やれやれ、またそれか。恩返しなんて廃れた風習をいつまでも……珠代、お前には私の妻という自覚が足りないんじゃないか?」
「そんなことは……」
「結婚したばかりの妻が夫の側を離れて人間の男と暮らしているなど、私の面目が立たないことぐらい分かるだろう」
「それは……」
「お前の役目は私の子供を産み育てることなんだ、それを、いつまでも人間の男のそばでママゴト遊びに興じるなど以ての外だ」
おいおいキツ夫さんよ、ずいぶんな亭主関白じゃないか。この男女平等主義なご時世にそんな発言したら炎上間違いなしだぜ?
「そんな言い方、酷いわ……」
「だいたい、人間など年中発情しているようなロクでもない生き物だ、どうせあの男も人間の姿をしたお前に欲情しているから家に置いているだけだろう」
キツ夫の野郎! 俺がいないところで好き勝手いいやがってぇっ……でも欲情してるのは事実なので反論できねぇっ!
「たしかに雪彦さんはしょっちゅう発情していますけど、それは仕方がないんです。男の人とはそういう生き物なんです!」
うん……理解があって嬉しいよ珠代さん。
「ふんっ、そうやって人間の男にすり寄って、やはりお前もあの母親の娘ということだな」
「ッ……!? いくらあなたでも、お母さんのことを悪く言うのはやめてください!」
いままで聞いたことのない張り上げられた珠代さんの声にキツ夫が思わず黙り込む。
俺も驚いた。珠代さんが怒るなんて……母親がどうのと言ってたようだけど、珠代さんのお母さんがなにか関係してるのか?
それ以降はキツ夫が何を言おうとも珠代さんは黙りこんでしまい、とても話し合いができるような状況ではなかった。
手を焼いたキツ夫が説得を諦めるまでそう時間もかからなった。
*
西日が差し込む玄関で、俺はキツ夫が帰るのを見送る。
「今日のところは失礼します、この件は後日改めて」
「あー、はいはい」
さっさと山に帰れキツ夫。もう来なくていいぞー。
「珠代、いつまでもワガママが通ると思うなよ」
「…………」
俺の後ろに隠れている珠代さんは返事もしない。
小さく舌打ちしたキツ夫は形ばかりのお辞儀をして去って行った。
まったくいけ好かない野郎だ。塩撒いてやろうか。
厄介者が帰って俺は清々としたが、珠代さんは酷く落ち込んでいるようだった。
それにしても意外だったのは、俺が思っていたよりも珠代さんとキツ夫の夫婦仲が上手くいっていなかったことだ。
お互いが好き合ってる感じがまったくしなかった。キツ夫が珠代さんを連れ帰ろうとしているのも、夫婦の体裁を気にしているだけのように見えた。
珠代さんにも申し訳ないが、これは俺にとって朗報である。
当初は夫に傾く珠代さんの愛情をいかにして俺へと傾けさせるかが問題だと思っていたが、どうやらこの夫婦には最初から愛情は存在していなかったようだ。
つまり俺のやるべきことは、セックスレスで夫と仲違いをしている人妻が不満を受け止めてくれる別の男と不倫する感じで、珠代さんの受け皿となってやればいいのである!
うーん、こうやって言うと俺がとんでもないゲス野郎に聞こえるゼ!
いや、断っておくけど、俺は本気で珠代さんのことが好きだからね?
だからこそ、珠代さんにこんな悲しそうな顔をさせるキツ夫のことが許せないし、俺が彼女を笑顔にしてあげたいのだ。
「すみません雪彦さん、主人がとつぜん来るとは思わなくて……」
「あいつが何て言おうと、珠代さんが望むなら、ずっとうちに居てくれていいから」
「はい……ありがとうございます」
俺の言葉に珠代さんは寂しそうに微笑んだ。
「悪いけど、あいつが珠代さんを大切にしているようには見えなかった」
「そう、ですね……その通りだと思います。夫はお祖母様が決めた結婚相手で、彼が欲しいのはウチの家柄と後継となる子供なんです。私はそのおまけ……」
キツネにも家柄とかあるのか? というか、それって珠代さんの意志は無視した政略結婚じゃないか。
「珠代さんは、あいつのことが好き?」
「…………」
珠代さんは答えない。
これはもう何も遠慮する必要ないだろ。
珠代さんは好きでもないキツ夫と結婚させられて、キツ夫も珠代さんへの愛情がない。
だったら俺が珠代さんを幸せにするしかない!
俺は俯向く珠代さんを抱きしめた。腕の中に収まった彼女はとても小さく感じる。(おっぱいは大きいけど)
「俺は珠代さんが好きだ」
「雪彦さん……」
「珠代さんと離れたくない、あんな奴のところに戻らなくていい、ずっと俺の側にいてほしい」
「だめ……だめです……言わないで……」
「俺は、珠代さんが欲しい」
逃げようとする珠代さんの唇を強引に奪う。最初は拒もうとしていた彼女の口はねじ込んだ舌が触れ合ってしまえば、互いを求めて絡み合う。
くぐもった息遣いを漏らしながら、珠代さんの手はしっかりと俺の背中を掴んで体を密着させる。
体温と一緒に気持ちが伝わってくる。離れたくないと思っているのは珠代さんも一緒なのだ。
俺たちは長いことそうしていた。
この流れならいける。普通はそう思うだろ?
しかし、珠代さんは口を離すと、瞳からポロポロと涙をこぼしながら首を振るのだ。
なんでだ? どうして?
「珠代さん、俺じゃあダメかい?」
「違うんです……そうじゃないんです……」
「なら……」
「うっ……ひっく……でも、だめなんです……ごめっ、ごめんなさい……ごめんなさい……」
はらはらと涙を零す彼女を強引に抱くなんて、俺にはできなかった。
*
翌日、珠代さんはすっかり落ち着いて、今日もせっせと家事に勤しむ姿を見せてくれた。
「それじゃあ、お買い物に行ってきますね」
「うん、気をつけてね」
そう言って見送った彼女の姿はすっかりいつも通りなのだが、これは問題の先送りにすぎない。
いずれキツ夫がまた来たとき、今度は強引にでも珠代さんを連れ帰ろうとするかもしれない。
昨日はどうして珠代さんに拒絶されたのか分からなかった。
俺の気持ちはちゃんと伝わっていたし、珠代さんが俺を好いてくれているのも感じた……一体なにが想いの障害となっているのだろうか?
このままじゃ珠代さんフラグが折れてしまう。早急に手を打たねば……けどどうやって?
原因がわからなければお手上げだ。
俺がひとりで唸っていたら、不意に玄関の呼び鈴が鳴った。
おや? 珠代さんは出かけたばかりだし、まさかキツ夫が来たんじゃないだろうな。
俺は警戒しながらゆっくりと玄関を開けた。
「こんにちわぁ」
そこに立っていたのは見知らぬ女性だった。
ゆるく波打つ長い黒髪を優美に揺らし、胸元が大胆に開いた服は珠代さんを超えるムチムチの巨乳が溢れそうになっており、深いスリットの入ったスカートからはガーターベルトのストッキングを履いた艶かしい美脚が見え隠れしている。
誰だこの異常にエロいお姉さんは!?
珠代さんも美人だが、それとは全く毛色の違う見ただけでゾクリとする妖艶な美女である。
「貴方が雪彦ちゃんねぇ?」
肉厚で艶やかな唇から漏れ出る、やけに間延びした甘い声が耳の奥にこびりつく。
「えっと、お姉さんはどちら様でしょうか?」
「うふふっ、はじめましてぇ、私は美津妃。珠代ちゃんのお母さんよぉ」
なんてこったい。
キツ夫に続いて、今度は珠代さんのママンまで現れてしまった。