翌朝もニセモノは神崎家にやってきた。一体どういうつもりなのか、相手の意図が分からずに健二が不審な目を向けるも、ニセモノは何食わぬ顔をして手を振ってくる。
「よお修一、学校行こうぜ」
「なんでだよ、今まで一緒に登校とかしてなかっただろ?」
「別にいいじゃん、隣同士なんだしさ」
もともと健二は一人で静かに登校するのが好きだったし、修一の周りにはすぐにクラスメイトが集まってきて、そうなると健二はいつも話の輪に入れずのけ者扱いにされる。だから一緒に登校することはほとんどなかった。
それだというのに、ニセモノが突然こんなことを言い出したのが不可解でしょうがない。
健二が疑いの眼差しを向けるが、ニセモノは何を考えているのか悟らせてくれない。
「もうシュウくん、せっかくケンくんが来てくれたんだから、一緒に行けばいいじゃない?」
「ねっ、姉さん……わかったよ、支度するからちょっと待ってろよ」
躊躇する健二だったが、麻奈美に言われてしまうと無下に断ることもできず、渋々と了承するのだった。
健二が自室で準備をしてから玄関に戻ると、そこではまだニセモノが麻奈美と楽しそうにお喋りをしていた。
その光景に得も言われぬ苛立ちを感じる。
「おいっ、いつまでも喋ってないで学校行くぞ」
「そんな急がなくてもいいだろ。俺はお前と違っていつでも麻奈美ちゃん会えるわけじゃないんだしさ」
「いいからっ、行くぞ!」
素直に言うことを聞かないニセモノに苛立った健二は語気を荒げてしまう。
弟がなぜそんなに不機嫌なのか分からず、麻奈美は驚いているようだった。
「どうしたのシュウくん……?」
「はいはい、わかったよ。じゃあ麻奈美ちゃん、またね」
「うっ、うん……いってらっしゃい二人とも」
麻奈美に見送られながら、健二はニセモノを引きずるようにして外に出た。
(なんなんだコイツは! 僕の体で麻奈美ちゃんにベタベタしやがって!)
いままでの健二なら、麻奈美を前にしたら緊張してまともに会話なんてできなかったはずだ。
けれど目の前のニセモノは、まったく臆した様子もなく、むしろ慣れ慣れしいぐらいの距離感なのだ。
(こんなの、絶対に僕じゃない!)
麻奈美とだけではなく、学校ではクラスメイトにも気さくに話しかけるし、このニセモノからは健二にあった卑屈さがない。
仕草の端々に自信のようなものを感じるのだ。それはまるで、自分がいつも嫉妬と羨望の眼差しで見ていた神崎修一のそれである。
(やっぱりこいつ……修一なんじゃないのか?)
しかし、そうだとしたら健二には不可解なことがあった。
修一が自分の体に乗り移っていると仮定しても、修一がそのまま山田健二のフリをするメリットがないのだ。
残念ながら、健二には自分が修一よりも優れている部分が一つも思いつかない。
容姿、頭脳、運動能力、家庭環境、すべてにおいて修一のほうが優っているのだから、もしも自分が修一の立場であれば、一刻も早く元の体に戻りたいと考えるだろう。
それなのに、スペックの低い山田健二のフリをする理由とは――?
(だめだ、全く想像つかない……)
けれど、このニセモノは何か思惑を隠しているに違いない。それだけは感じ取れた。
*
さて、健二が学校でニセモノのことばかり気にしているとき、神崎家では麻奈美が困惑した様子で洗濯機の前に立ち尽くしていた。
その手には昨日の夜、健二がオナニーに使った麻奈美のショーツが握られている。
(やっぱり……これってシュウくんの……)
ショーツにこびりついている白く乾いた精液。前日も下着に何かが付着している形跡があったけれど、まさか弟が自分の下着にいたずらしているとは思いたくなかったので、気にしないようにしていた麻奈美だったが、今日はよりはっきりと痕跡が残っていた。
麻奈美が下着を脱いで脱衣籠に入れたときには、こんなものは付いていなかった。たまたま別の洗濯ものから汚れた付着したとも考えにくい。
そして、この家で暮らしているのは自分以外には弟の修一しかいないわけだから、犯人は簡単に特定できてしまう。
麻奈美も一般的な性知識ぐらいは知っているし、思春期の男子がオナニーをするぐらい別におかしいとは思わない、けれど、弟が姉の下着を使って自慰をしいるのだとしたら、見過ごすわけにはいかない。
(どうしよう……ちゃんと注意したほうがいいんだろうけど……)
しかし、理由も聞かずに一方的に叱ってしまえば、多感な年頃の弟を傷つけてしまうかもしれない。
優しい麻奈美は弟を傷つけずに諭してあげたかった。
(シュウくんが帰ってきたら、ちゃんと話をしよう……)
弟からすれば、麻奈美は甘くて優しい理想的な姉に違いない。
しかし、その優しさのせいで、これから自分がどんな目に遭ってしまうのか、このときの麻奈美は知る由もなかった。
*