麻奈実の膝枕で夢うつつになったまま部屋のベッドに潜った健二は、しかし翌朝にはそんなふわついた気分をぶち壊されることとなる。
健二と麻奈美が朝食をとっていたところにリビングにチャイムの音が鳴り響いた。
こんな朝早くからいったい誰だろうと出向いた玄関で、そのドアを開けた先に立っていた存在を目の当たりにして、健二は驚きに目を見開いた。
”山田健二”がそこに居た――。
毎日鏡で見ていたはずの自分の姿を目の前にして、健二はぬるま湯に浸かっていたところに突如冷水をぶちまけられた気分だった。
緊張と不安が首をもたげ、健二は喉を締め付けられるような息苦しさを感じる。
間違いなく山田健二の姿をしたそいつは、しかし中身は違うはずなのだ。なぜなら本人である自分がここに居るのだ。だったら目の前にいるこいつは誰なのか?
「おっす、修一」
相手の出方を窺うべく身構えていた健二だったが、ごく普通に挨拶をされて逆に面食らってしまう。
(はっ? どういうつもりだ……こいつ)
てっきり出会った途端にどっちが本物かを主張する争いが始まると思っていたのに、相手からはそんな雰囲気は感じられない。
「なんの用だ……?」
「なんのって、酷いなぁ。お前が昨日へんなこと言ってたらからわざわざ来てやったんじゃないか」
隣にいた麻奈美は、なんのことだかわからず二人へ交互に視線を送る。
「なにかあったの?」
「俺さ、昨日熱出して学校休んでたんだよね。そしたら修一から電話があったんだけど、それでちょっとね」
「もう体調はいいの?」
「うん、ばっちり」
心配そうな顔をした麻奈美に、そいつがニカッと笑ってみせると麻奈美も安堵したように表情が柔らかくなる。その一方で健二は気が気ではなかった。
「よかった、私がケンくんを連れ回したせいで疲れちゃったのかな……」
「ははっ、久しぶりに麻奈美ちゃんと遊べてはしゃぎ過ぎたのかも。また今度どっかいこうよ」
「うんっ、私も楽しかった。また行きたい」
申し訳なさそうにする麻奈美に、そいつがニコッと笑いながら言うと、麻奈美も安心したように微笑んだ。
しかし、隣にいる健二からすれば、自分の姿で麻奈美と楽しそうに話す様子に心中穏やかでない。
(なんだこいつ! 僕のニセモノのくせして、麻奈実ちゃんと楽しそうに話しやがって……っ!)
「今日は久しぶりに修一と登校しようかなって、いいだろ?」
屈託のない笑顔を向けてくるニセモノの誘い。健二は一瞬返答に迷ったが黙って頷くと、二人は麻奈美に見送られながら学校へ向かった。
(どういうつもりか知らないけど……お前の正体を暴いてやる)
ニセモノとサシで話せるのは健二にとっても都合がいい。とはいえ、いった何から聞き出せばいいのか、健二が頭の中であれこれ考えているあいだに、先に話を切り出したのはニセモノの方だった。
「そういえばさ、昨日のドラマ見た?」
「は?」
またもや予想していなかった話を振られて思わず間の抜けた声を出してしまう。
「ドラマだよ、昨日は寝てたせいで見逃しちゃったんだよね」
「い、いや……僕も見忘れた」
「あーそっか、誰か録ってないかなぁ」
確かに健二は、そのドラマを毎週欠かさず見ていた。
しかし今はそんなことを話している場合ではないだろと、健二は内心で舌打ちしながら探りを入れるために話を振ってみることにした。
「お前、このまえ三人で遊びに行った日、帰ってから何してた?」
「久しぶりに遠出したらなんか疲れてさ、すぐに寝ちゃったよ」
それは健二も同じだった。あの夜は妙に疲れが溜まってて、ベッドで横になっていたらすぐに眠ってしまった。
健二はさらに探りを入れる。
「朝起きてからおかしなことはなかったか? 自分が自分じゃないみたいな」
「そういや昨日もそんなこと言ってたけど、なんのギャグだよそれ」
ニセモノはやはり健二の言葉を冗談としか受け止めていないようだった。そこに嘘をついているような気配は感じられない。
しかし、それでは健二の予想が外れてしまうことになる。
(どういうことだ……こいつ、修一じゃないのか……?)
しかし、それを認めるわけにはいかない。もしもそうなら、いまここにいる自分はいったい何者だというのだ。
「おまえ……修一なんだろ?」
目の前の存在を否定するような視線を向ける健二。その鬼気迫るような表情に、ニセモノも一瞬戸惑いに顔をこわばらせたが、しかしすぐに冗談を笑い飛ばすように破顔した。
「ははっ、だから意味わかんねえって。なにそれ、なんのネタ?」
その言葉には嘘をついている様子はなかった。ニセモノは健二を相手にせず、そのまま歩みを進める。
(こいつは……本当に修一じゃないのか? だったら僕は……)
健二は自問自答する。しかしその答えが出るはずもなく、先に行ったニセモノの後を追うことしかできなかった。
*
学校に到着すると、ニセモノはクラスメイトに声をかけながら教室に入ると、迷わず山田健二の席に座ったのだが、そこで健二は朝から感じていた違和感に気づく。
(そうだよ……麻奈実ちゃんとあんな自然に話したり、クラスメイトに自分から声かけたり……僕はそんなキャラじゃないぞ……)
まだ疑いは捨てきれない。
健二はニセモノがボロを出さないか、授業中もこっそり観察していたが、疑念は深まる一方だった。
ニセモノは間違いなく山田健二の姿をしているが、だからこそおかしい。
(僕はあんなふうに爽やかに笑わないし、ハキハキと喋らないし、ましてや授業中に自分から手を挙げるようなことはしない……っ!)
自分で言っておきながら悲しくなるような事実だったが、自分のことだからこそよく分かる。
(やっぱり、こいつは……違う、こいつは、僕じゃない……!)
だとしたら、このニセモノはやはり修一なのか。だとしたらなぜしらを切ろうとするのか。健二にはその理由がわからない。
結局その日はニセモノを監視するに留まったまま学校は終わり、それ以上の進展はなかった。